ぼろぼろになるまで読んだ四冊の本

日経新聞文化部から夕刊読書欄「読書日記」に四回連載(12月)をしないか、という依頼があった。最近の本の書評ではなく、「思い出の本」「感銘を受けた本」を四冊選ぶようにとのことだった。一回の分量はわずか550字。難しいなぁと思いつつ、これも経験と引き受けた。いろいろ考え、高校生の頃にぼろぼろになるまで読んだ本三冊、三十代からの座右の書一冊、を選んだ。以下、12/6, 12/13, 12/20, 12/27の日経夕刊に掲載された文章の転載である。

(1) 「バビロンの流れのほとりにて」(森有正著): 自分の中の軽薄さを殺す
 「人間が軽薄である限り、何をしても、何を書いても、どんな立派に見える仕事を完成しても、どんなに立派に見える人間になっても、それは虚偽にすぎないのだ。(中略)自分の中の軽薄さを殺しつくすこと、そんなことができるものかどうか知らない。その反証ばかりを僕は毎日見ているのだから。それでも進んでゆかなければならない。」
 森有正のこの文章と出合い衝撃を受けたのは高校三年生のときだ。一九七八年、筑摩書房から刊行された白い函(はこ)に濃紺の表紙の「森有正全集」に、私はのめりこむと同時に打ちのめされた。これはその第一巻に収められた「バビロンの流れのほとりにて」冒頭の断章の一節である(『森有正エッセー集成1』ちくま学芸文庫所収)。
 当時私は数学を志し、学問の道を生涯究めていきたいと考えていた。しかしこの文章に象徴される森の苛烈(かれつ)な生き様は、高校生の私に「こんな孤独で真摯(しんし)な人生を歩む覚悟があるのか」「そういう人生を歩んで本当に幸福になれるのか」という問いを突きつけた。そんな自信がぜんぜんなかった私は、学問の道に進まなかった。
 それから二十八年が経ち、森がこの文章を書いたときの年齢を超えた。「自分の中の軽薄さを殺しつくすこと」。今もそれが、私の人生における最大かつ最重要なテーマであり続けている。


(2) 「知的生活の方法」(渡部昇一著): 重要な本の置き場確保
 知的生活を送るには金がかかるものなのだな。働いて稼いでうんと資産を作らなくては、満足な知的生活を生涯送ることってできないんだな。
 七〇年代後半にベストセラーとなった渡部昇一『知的生活の方法』(講談社現代新書)が多くの人にどう受け止められたのかは知らないが、少なくとも高校生の私の心に焼きついたのは、そんな教訓であった。
 「知的生活とは絶えず本を買いつづける生活である。したがって知的生活の重要な部分は、本の置き場の確保ということに向かざるをえないのである。つまり空間との格闘になるのだ。そしてこの点における敗者は、知的生活における敗者になることに連なりかねないのである」
 蔵書を持ち続けることの重要性を説く渡部は、戦時中に蔵書をあっさり処分した著名な外国文学者を、本書の中で厳しく糾弾したりもしている。
 東京での生活を引き払ってシリコンバレーにやってきて十二年が過ぎた。高校生の頃から「知的生活を生涯続けること」を目標にしてきた私は、無意識のうちに「空間との格闘」を続け、知的生活を送るための「広い空間」を求めて、アメリカに来てしまったような気がする。毎年千冊ずつ増え続け、すでに一万五千冊を超えた蔵書を維持できる「広い空間」は、日本では求めても得られなかったからである。


(3) 「やわらかな心をもつ」(小澤征爾広中平祐共著): 30年後の今も古びぬ普遍性
 毎朝四時か五時に起きて最低三、四時間は勉強するという生活を、十二年前にシリコンバレーに移住したのをきっかけに始めた。なぜか私は「海外に住み、毎日早起きして勉強する」という生活に昔から強いあこがれを抱いていたのだ。
 一九八〇年代末から九〇年代半ばにかけて村上春樹がヨーロッパやアメリカで暮らしたときの生活にイメージはかなり近いのだが、私はそういう生き方を大学時代から渇望していた。誰に影響されてそう考えるようになったのだろう。それが私の長年の疑問だった。
 この連載では、私がぼろぼろになるまで何度も読んだ本を四冊選ぶことにした。三回目の今回は『やわらかな心をもつ』(小澤征爾広中平祐共著、新潮文庫)である。七六年、ボストンに住んでいた数学者広中が、サンフランシスコに住んでいた指揮者小澤を訪ね、丸二日間にわたり、芸術、学問から家庭生活まで、幅広く語り合った対談記録である。三十年後の今読んでも全く古びない普遍性を持つ名著だ。
 本欄寄稿のために再読し私の長年の疑問が氷解した。「海外に住み、毎日早起きして勉強する」ライフスタイルとは、小澤征爾の当時の生活そのものだったのだ。たとえ内容を忘れてしまっても、高校生のときの読書は人生に大きな影響を及ぼす。そのことに私はいま改めて驚くのである。


(4) 「近代絵画」(小林秀雄著): 門外漢の目を開かせた力
 「近頃の絵は解らない、という言葉を、実によく聞く。どうも馬鈴薯ばれいしょ)らしいと思って、下の題名を見ると、或る男の顔と書いてある。」
 こんな書き出しで始まる「近代絵画」(一九五八年出版、『小林秀雄全作品22』新潮社所収)は、小林秀雄が五十代前半の五年間、他の仕事をせずに没頭して書いたと言われる、啓蒙(けいもう)・批評文学の最高峰たる作品である。
 子供の頃から絵心は皆無、美術鑑賞に興味を持ったことさえなかった私は、結婚を機に妻に誘(いざな)われ欧州の美術館を巡るようになった。何が面白いのかさっぱりわからぬまま絵を眺めていた私は、偶然本書と出合い、息もつかずに読み、目が開かれる思いがした。
 門外漢の私の心をいきなり鷲づかみにして離さなかったこの「本の力」とはいったい何なのだ。私は「近代絵画」の不思議な力に魅了され、いつか自分も専門分野についてこんな本を書いてみたいと思った。以来十余年、旅に出るときは必ず携え、繰り返し読み続けた。
 二月に上梓(じょうし)した拙著『ウェブ進化論』(ちくま新書)は、仰ぎ見るほどに高い「近代絵画」という峰を意識しつつ書いた、私の最初の作品である。思いがけなくもベストセラーとなり、二〇〇六年は私にとって生涯忘れられない年になった。

森有正エッセー集成〈1〉 (ちくま学芸文庫)

森有正エッセー集成〈1〉 (ちくま学芸文庫)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

知的生活の方法 (講談社現代新書)

やわらかな心をもつ―ぼくたちふたりの運・鈍・根   新潮文庫

やわらかな心をもつ―ぼくたちふたりの運・鈍・根 新潮文庫

小林秀雄全作品〈22〉近代絵画

小林秀雄全作品〈22〉近代絵画