Web 2.0=発酵食品説

Blogを読んでいると、ときどき凄いなぁと思う文章にめぐり合う。
圏外からのひとこと」の「WEB2.0サイト = 発酵食品説」
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20051124#p02
を是非読んでみてほしい。Web 2.0という潮流を、企業戦略という観点から眺めたときの難しさ(旧勢力にとっても新勢力にとっても)を、実にうまく言い表している。

ソフトウエアには、移植以外にもさまざまな活用、展開の可能性があるが、可能なことは全て待っているだけで、自動的に起こる。WEB2.0的世界というのはそういう世界だ。囲いこまれた情報、差異によって金銭的な価値を生む情報を正常とみなすならば、WEB2.0的世界では、全ての情報が急速に腐ると言ってもいいだろう。

「囲い込まれた情報が金銭的な価値を生む」ということ自身がいずれ「幻想」になるかもしれないと頭ではわかっても、いま情報を囲い込むことで金銭的価値を生み出している主体は、

アイディアが自由に流通し、囲いこみができない世界は、無菌室の中で育った人には、とてもなじめるものではない。

この文章でいう「無菌室の中で育った人」である。無菌室からエイヤっとWeb 2.0世界に飛び出しても、決してそれだけでいいことは起きない。代わりにこんなことが起こる。

公開したデータは、盗まれ検算されそれを取りまく人の動きを推測する為に使われ、笑われ感心され無視されトホホと言われ人を感動させ時になぜか人を立腹させ、コピーされ改変され再配布され、全ての可能な使われ方で使われ消費される。大半の企業にとって、エコシステムに消費されることは「腐る」に等しいことだ。

では、Web 2.0世界では誰が生き残れるのだろうか。

WEB2.0的企業は、公開された議論を背景として公開されたソフトウエアで既知のアイディアを実装したシステムによって公開されたデータを使い価値を生む。彼らにとって、エコシステムに消費されることは、「腐る」ことではなく「発酵」することだ。納豆やチーズのような企業だけが、バイ菌だらけのこの世界で生き残っていけるのだ。

納豆かチーズになれ。言い得て妙である。感謝祭休暇に、この意味をじっくりと考えてみたい。