今日の短編(19) 井上靖「生きる」(「石濤」所収)

本を読んでばかりいる。
孔子」にとりかかる直前、著者最晩年の日常を綴ったもの。食道がん手術後、無意識のうちに何度も発していた言葉は家族によれば、

地獄はあの世にはない。若しあるとすれば、この世にある。

だったと言う。

それから三年という歳月が流れている現在でも、その断定は、私の心の中の静かな安定の座を占めている、と言うことができる。"地獄"は来世にはなくて、いま生きている、この現世にあるのである。

そして隠遁について。

隠遁しようと思っても隠遁したりすることはできない。若しそういう隠遁者があったら、それは隠遁者とは言えないだろう。隠遁とは、自分が気付いてみたら、いつか、みごとに、世間というものと交渉を断っていた。或いは断たれていた。―それでいて、それが、さして淋しくも感じないし、気にもならない。これが隠遁というものなのだろう。

井上作品は、「異国の星」「本覚坊遺文」「孔子」を繰り返し読む。中でも本覚坊の「隠遁生活」が心にしみる。

異国の星〈下〉 (講談社文庫)

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井上靖全集〈第22巻〉

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孔子 (新潮文庫)

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