吉田秀和「小林秀雄」(吉田秀和全集10所収)

音楽はどうにもこうにもからっきしダメなので、美術評論は読むのだが音楽評論だけは読まずに今日に至る。よって吉田秀和は絶対に読まないはずだったのだが、横浜逍遙亭がしばしばブログで盛んに勧めるので、音楽以外のエッセイや評論だけを全集から選んで三冊だけ買っておいた。
昨日ふと思い立って「小林秀雄」を読んで心動かされていたところ、これも偶然か必然かわからぬけれど、横浜逍遙亭の最新エントリーが「吉田秀和さんの番組を見る」だった。

実は吉田さんご自身は小林秀雄さんのことを書いた小さなエッセイの中で、『モォツアルト』をべた褒めしていたからだ。うろ覚えだが、戦後、『モォツアルト』を最初に読んだときには大きな啓示だったと書いていらしたように思うし、ある知人が『モォツアルト』を馬鹿にするのを聞いて、その時に反論しなかったばかりにその後しばらく人嫌いに陥ったとまで書いていたはず。

ところが、昨日のインタビューで吉田さんは『モォツァルト』と小林さんをはっきりと批判していた。自分ならもっと書けると思ったと語っていた。小林さんの『モォツァルト』は音楽的とは言えないとも。あぁ、やっぱりね、と思った。

とある。へえと驚いた。ちょうど僕はまさにこの「小林秀雄さんのことを書いた小さなエッセイ」を読んでいたところだったのだ。その文章「小林秀雄」はこう始まる。

小林秀雄の『モオツアルト』が『創元』という雑誌に発表され、それを読んだときのショックは一生忘れられないだろう。
昭和二十年の夏、太平洋戦争が日本の完敗に終わると間もなく、私はそれまでのつとめをやめた。食べるあてがあったわけではない。ただ、戦争が深刻化するにつれて毎日つのってきた想い、何時死んでも後悔しないような生活を送りたいという熱望、それに自分を全部投げ入れることにしたのである。

そして吉田は「毎日毎日、音楽のことを、音楽と音楽家についてのことを」売るあてもなく厖大な量、かきはじめる。

そういう時に、私は、小林秀雄の『モオツアルト』を読んだのである。(中略) 小林秀雄は、つぎつぎと問題をなげかけ、なげすてながら、前進する。問いは必ずしも答えを引き出さないが、読むものに、ある時は光を、ある時はショックを、ある時は喜びを、わかち与え、ある時は停止を要求し、自分でさきを考えるよう強いる。
私は興奮し、何度も何度も、途中でやめたり、くり返し読んだりする。その間に、音楽が鳴る。それもモーツァルトのとは限らない。(中略)
その少しあとで、私は有名な音楽学者に会った。たまたま、この『モオツアルト』が話題にのぼり、その人の口から、「文章がうまいというのは得なもんだね」という言葉をきいた時、カッと逆上して、もう少しで食ってかかりそうになった。それをしなかったおかげで、私は、長いこと、いろいろな人びとを軽蔑する病気にかかった。
ともかく、この『モオツアルト』は、私には啓示だった。

名文だと思う。これはたぶん昭和四二年に書かれたものなので、今から約四十年前。吉田が五十代のとき、むろん小林は生きていた。

吉田さんは『モォツァルト』と小林さんをはっきりと批判していた。自分ならもっと書けると思ったと語っていた。小林さんの『モォツァルト』は音楽的とは言えないとも。

という最近のインタビューも四十年前のこの文章も、どちらも吉田の小林に対する本心なのだと思った。横浜逍遙亭のおかげで、楽しいひと時を過ごした。

吉田秀和全集(全10巻) 第1期

吉田秀和全集(全10巻) 第1期