こんな不思議なことがあるんだ・・・・・

日本から帰国する飛行機の中で読んだ「将棋世界」2月号は充実の内容であった(片上五段のブログによると3月号も充実とのこと、楽しみ)。
しかし驚いたのが、55歳という若さで先ごろ逝去された真部八段(逝去後に贈九段)の絶局を巡る不思議な物語である。
この「将棋世界」2月号は、真部追悼特集になっており、多くの棋士が亡き真部を惜しみ、良い文章を寄せているが、いくつかの文章の内容を紐解いていくと、じつに不思議な物語が浮かびあがってくるのだ。
棋譜をあえて使わずに、この不思議な物語を追いかけてみたい。
話は、絶局となった昨年10月30日のC級2組順位戦に遡る。真部は最年少棋士の豊島四段(1990年生まれ)と対戦。午前11時58分。わずか33手。まだ戦いが始まる前に投了してしまった。あまりに体調が悪かったため、自分の手番で負けを宣言したのである。そして真部はそのまま入院し、11月24日、還らぬ人となった。
しかしこの33手目の場面に、とんでもないドラマが仕込まれていた。真部の弟子の小林宏六段が追悼文の中で、こんなエピソードを披露している。

「あそこで4二角と打てば俺のほうが指せると思う」
ベッドに横たわった師匠の口調が、気のせいかいつもの調子に戻っていた。

家に帰って研究した小林は、「4二角」が名手であることを確認し、2日後に再び真部と話す。真部は小林にこう言う。

「誰か指してくれないかな。君は飛車を振らないからな」
疑問に思って一つ聞いてみた。
「先生はあの日なぜ角を打たなかったんですか」
答えはノータイムで帰ってきた。
「角打つと相手は長考するだろ。そうすると投了できなくなってしまう」

そして11月27日、真部の通夜の晩、この豊島・真部戦の33手目(絶局の場面)が、村山四段対大内九段戦で、突如として現れるのである。

私は思わぬものを目にすることになる。

先崎学八段は、連載「千駄ヶ谷市場」でこう書いている。「思わぬもの」とは絶局の場面である。そして小林六段はこう述懐する。

こんな事があるのかと、しばらくは放心状態だった。自分の対局室に戻り、熱い茶を飲む。そして、師匠は将棋会館に来ているのかとまず思った。

先崎は冷静に考える。村山と大内が、真部追悼を意識して、あえて同じ将棋を指しているのではないかと。それならそれで美談になるが、じつはそうではなさそうだということがわかっていく。
ベテラン大内九段は、なんと34手目に真部が構想した「4二角」を指すのだ。そして新鋭村山は、真部が想像した通り、ここで1時間50分という大長考をして、自らの非勢を確認して「受け」にまわる手を指すのである。
この事実から、村山は、絶局の場面は仮に知っていたとしても、「4二角」という名手の存在を知らなかったということがわかる。

問題は大内が知っていたかどうかである。

先崎はその疑問を胸に観戦を続ける。「4二角」以降、絶対優勢になった将棋を大内は落としてしまう。感想戦が終わったあと先崎は大内にそっと訊ねる。

「先生、真部さんの将棋、知っていたんですか」
大内はギョッとした表情になった。
「死んだことか・・・?」
私はあわてて、これこれしかじかと、△4二角についての周辺を説明した。
私が喋るうちに、大内の眼は大きく見開かれ、何度も何度も頷き、驚きのことばを弾き返した。
「まったく知らなかったよ。そんなことがあったんだ」
「みんなアレコレ賑やかでしたわ」
「驚いたね。真部君の後を指し継いだ形になったんだ」
「真部さんは、もう一手指したかった、といっていたそうですよ」
不意に、大内の顔がくしゃくしゃの笑顔になった。
「残念だな。勝ってやらなきゃいけなかったな」

名エッセイである。これを読んで、本当に不思議なことが起こるものだと思いつつも、大内がこの絶局の場面を知らなかったというのは本当だろうかと思った。
そして今日、この村山・大内戦を並べてみた。最初の33手までが、絶局の棋譜を知らない二人の棋士によって再現され得る可能性について、素人なりに考えてみたいと思ったからである。
まず初手から21手目までは、最新流行の手順である。ゴキゲン中飛車で始まり、先手から角交換して(丸山ワクチン)、互いに玉を囲いはじめる。ここまではまず、再現されてしかるべき手順である。
問題は22手目から33手目までだ。この12手を主導する考え方は、後手が「(ミノ囲いの二枚目の金を寄せるより)先に銀冠を作る」という囲い方をすることであった。そうか、なるほどこれなら、まったく偶然に33手目が現れても不思議はない(もちろんまったく同じになる確率はものすごく低そうだけれど)、ということのようである。
絶局の場面が、なんと真部の通夜の晩に偶然指されたこと、二つの将棋が共に先手は研究家の若手、後手はベテラン棋士だったこと。真部構想と全く同じ名手を大内が閃いたこと。
いやあ不思議なドラマが真部八段・波乱の棋士人生の最後に生まれたものだと、僕は深く感動したのだった。