先崎学の「記憶力の悪さ」と「局面に対する明るさ」

「将棋「次の一手」読本」
http://tkj.jp/bessatsu/4796648038/
先崎学八段のインタビュー記事を読んだ。多くの将棋ファンと同じように僕も、羽生世代の中で一人奔放に異彩を放つ先崎学の昔からの大ファンである。溢れる才能を持ちながら、いまだにタイトルを一度も取ったことのない天才・先崎に、この夏は久々のタイトル挑戦の機会が訪れたのだが、十年前と同じく、またもや佐藤康光に挑決戦で敗れた。この本に収められたインタビュー記事は、その直後のものだったので、当然のことながら、彼にとっては辛い質問が繰り返された。
その中で、自分が羽生・佐藤に勝てない理由を先崎はこう語る。

(羽生・佐藤の将棋は)盤上を常に自分の読み筋でコントロールしようという意識がすごく強い将棋ですよね。(略) やっぱり早いうちから局面を良くしにいくっていうところで僕は劣るところが非常にありまして、要するに序盤から相手をリードするっていうところが不得手なわけですよね。ええ、はっきり苦手です。これが僕の将棋のかなりのマイナスの比重を占めるんですけれど。(略) あとこれは将棋の勝ち負けにつながるかどうかわからないんだけど、僕は将棋に関する記憶力が非常に悪いですね。(略) とにかく記憶力が悪い。だから横歩取り藤井システムのように類型化されてる将棋を指しているときに、どうも思い出せないんですよね。自分で指した将棋ですらなかなか思い出せないんですから。でもしょうがないですねぇ。こればっかりは。

先崎ほどの一流棋士が言う「記憶力が悪い」ということと、我々常人の記憶力とは比べるべくもないが、「記憶力におけるギリギリの差」というのは、読みの深さ・精緻さにおいてトッププロが紙一重で凌ぎを削る世界では、かなり致命的なのかもしれない。僕自身、記憶力がかなり悪いほうなので、先崎の搾り出すようなこの言葉は、何だか身につまされる。
一方、「「ここは羽生、佐藤より自信を持ってるぞ」という部分はありますか」という問いに答えて、先崎はこう答える。

まあ羽生、佐藤よりはって言うとおこがましいですけど、局面に対する明るさっていうんですか。(略) ひとつの局面があって、そこまでに二人で築き上げてきた流れがあるわけですよね。で、どちらかが悪手指したり、悪手じゃなくてもお互いの読み筋にない手があると局面がガラッと変わるときがある。そういうところで切り替えができるタイプとできないタイプっていうのが、はっきりと強い弱いの差になるんですね。そういう意味で僕はハプニングみたいなことが起きたときに、対応力がいいんじゃないかと思いますけど。

全くもって素人的発想ではあるが、この「記憶力の悪さ」と「局面に対する明るさ」という特質は、先崎とコンピュータが組むと、ものすごく親和性が高くなることを意味しているような気がする(先崎の「局面に対する明るさ」を将棋ソフトのアルゴリズムに昇華させ、ソフトの大局観をどんどん強くしていくという可能性もあろうし、コンピュータのサポートを得た人間同士の将棋という新ジャンルで大活躍する可能性もあろう)。未来の将棋がどんな姿になるかわからないが、文才もあり多方面での才を持つ先崎の活躍の場は、将来、思いがけない形で現れるに違いない。以上、一ファンの夢想である。