毎日新聞夕刊「ダブルクリック」欄・第六回「新しい職業」

毎日新聞火曜日夕刊コラム欄の第六回です。

最近「新しい職業」ということをよく考える。
僕は十八年前に、当時はまだ社会的に広く認知されていなかった「経営コンサルタント」という「新しい職業」につき、十二年前に、当時はまだ世界中の人々があまり関心を示していなかった「シリコンバレー」という「新しい場所」に移住した。
九年半前に独立して、経営者へのアドバイスを専門とするコンサルティング会社をシリコンバレーで作り、六年前に「ベンチャーキャピタル」を創設した。そして二年前に、日本に新しく生まれた文化とも言うべき「ネット・ベンチャー」の経営に参画し、今はそれらの「新しい職業」を掛け持ちしながら、「ネット空間」という「新しい場所」に住むように暮らしている。
僕が歩んできた「新しい職業」の周囲では、間違いなく日々「新しい知」が生まれ、その知は輝いていた。仕事環境には若さが溢れ自由があり楽しかった。しかし「昔からある職業」に比べ、中長期的な自分の達成におけるわかりやすい目標やロールモデル(お手本となる人物)がないところが「新しい職業」の苦しさだなといつも感じていた。
あるときひょんなことから、十九世紀前半を生きた文豪バルザックが若き日に印刷所や活字鋳造所の経営を試みたということを知った。現代に置き換えて考えたら、当時の印刷所や活字鋳造所っていったい今の何にあたるのだろう、「ネット・ベンチャー」のような「新しさ」を持った職業だったのかもしれないな。そんな発想が頭をよぎって以来、歴史を読んでは、歴史上の人物の職業がその時代にどんな「新しさ」を持っていたのかを考えるのが習い性になった。
こうした楽しい思考実験を繰り返しているうちに、いつしか「新しい職業」の苦しさが消え「新しさ」自体を心から楽しめるようになった。
(毎日新聞2006年11月7日夕刊)