山本七平著「小林秀雄の流儀」より

人がもし、自分の関心のあることにしか目を向けず、言いたいことしか言わず、書きたいことだけを書いて現実に生活していけたら、それはもっとも贅沢な生活だ。そういう生活をした人間がいたら、それは超一流の生活者であろう。もう四十年近い昔であろうか、私が小林秀雄の中に見たのはそれであった。そして私にとっての小林秀雄とは、耐えられぬほどの羨望の的であった。

方向はどの方向でもよい。自分に関心のあるものにしか関心をもたず、言いたいことしか言わず、書きたいことしか書かず、また出したい本しか出さないで、しかも破綻なき生活者であること。ではそれはどう生きれば可能なのだ。

すべての人間は自分が生きたいように生きたいはずだ。だがそれをすれば生活が破綻すると人びとは信じ、それが「常識」となっている。事実この常識を破れば破綻するであろう。一体これはなぜなのか。では破綻しなかった本居宣長小林秀雄も単なる常識人なのか。若いころ、小林秀雄に妙に関心をもった動機の一つが、彼が常識人か非常識人かわからないという点にあった。