「シリコンバレーから将棋を観る」英訳版「敲(たた)かれ台」がウェブ上に一般公開されました!
ゴールデンウィーク中の英訳プロジェクトチームのすさまじい進捗については都度、驚きとともにご報告してきたが、メンバーの一人のブログで昨夜英訳第一版完成と一般公開アナウンスがあった。
梅田望夫さんの『シリコンバレーから将棋を観る』の'英訳'が一般公開されました。
第二ステージが始まります。
1.Yoshiharu Habu and Modern Shogi
http://modernshogi.pbworks.com/
本文。形式はPBwiki。
6日間で英訳された下訳がすべてご覧いただけます。
敲き台というより「敲かれ台」
登録すると誰でも直接、翻訳作業ができます。
著者の僕だって、出張中ということもあり、完成した英訳第一版を読むことができていないうちの公開だ。プロジェクトリーダーのid:shotayakushijiは、こんなふうにも言っている。
やっぱ思ったとおりしょぼい訳だなと感じてもらったり、ぁ意外にちゃんと訳せてるじゃんと感じてもらったり。そんな一人ひとりの想いがこのプロジェクト新たな高みに持っていってくれると思っています。特に、ひっでーなと思った人、じゃんじゃん修正しちゃってください!
このオープンソース的な翻訳プロジェクトの進捗を見た識者の方々から、「ネイティブのチェックなしには無理」「こんな短期間で仕上げちゃっては翻訳の質が不安だ」といった声がブログ等のコメントの形で寄せられた。メンバー内にも慎重な意見はあった。
しかしリーダーのid:shotayakushijiは、そういう意見に対して「限界そして希望」というこんな素晴らしいエントリーを書いた。最近、こんなに感動した文章はなかった。それに対して、こんな感想、「希望の生まれる場所」も寄せられた。
ぜひ「限界そして希望」を全文読んでほしいと思うがが、一部だけを引用する。
要約すればこんなフレーズになると思います。
"WE WANT TO BRIGHTEN THE NOW GLOOMY JAPANESE WEB"
そうです。僕たちは日本のウェブを明るくしたいんです。揚げ足取りのネガティブなウェブから高め合いのポジティブなウェブへ。ここまで当プロジェクトがやってきたのは、ポジティブな風を少しでも吹き込めるようにするための土台作りです。もう一回言います、「土台作り」です。所詮「土台」です。でも土台がなければ建物は立たない。だから僕たちはゴールデンウィークを丸々費やして急いで土台を作った。高め合いのポジティブなウェブ(Wisdom of Crowds)、という「建物」を立てるために。プロジェクトメンバーだけでは数が少なすぎで、到底「建物」は立てられない。だからせめてその土台となる公開用の仮の翻訳を急いで仕上げたかった。
ここまでだらだらと書いてきた、急いで公開する理由、まとめるとこうです。
「十数名のメンバーではできることに限界がある。でも、1億2千万人のメンバーができることには希望がある」日本はもう立ち直れないと思う。
なんて言われて悔しいじゃないですか。僕はまだ立ち直れないなんて信じたくない。Wisdom of Crowdsの風が吹き荒れてが日本を救う、そんな日が来ることを信じたい。
僕たちの訳は完璧からは程遠い、さらに言えばみなさんが読んでみて質が低いとさえ思うかもしれない。
今の段階ではそんなレベルの翻訳です。残念ながら。自覚してるんだったらもっと時間かけて質上げてから公開しろよって思われるかもしれません。それでも僕たちは数日中に訳を公開します。なぜか?
まず分かっていただきたいのが、メンバーのほとんどが海外で教育を受けたことがない人であるということ。また、メイン翻訳者の平均年齢は21歳くらいであり、これまでに翻訳の経験が皆無なこと。それでも彼らは、少しでもこのプロジェクトの役に立ちたいと思い、手を挙げてくれたのです。そして、自分の英語力のなさに愕然としながらもしっかりと与えられた章を訳し切りました。それでも、改めて、僕たちがどんなに頑張ってところで、英語力には「限界」があるのです。ここまで読んで、よくもぬけぬけとそんなことが言えるなと思った人がいるかもしれません。そんな声にはこう答えさせていただきます。そもそも梅田さんだって僕たちには翻訳の質なんて求めていない、と。
そう、その通り。翻訳の細部の質なんかよりも、うんと大切なことがある。「揚げ足取りのネガティブなウェブから高め合いのポジティブなウェブへ。ここまで当プロジェクトがやってきたのは、ポジティブな風を少しでも吹き込めるようにするための土台作りです。」日本語圏ウェブ空間を、自らの手でよい良いものにしていこう、と思って、新しい価値観をもって行動する若い人たちのスピリッツとリーダーシップのほうがうんと素晴らしいし、個人的にも嬉しい。
それとシリコンバレーに住んでいると、イギリスや東海岸に住むのとはきっと違って、あまりにも多くの人たちが、滅茶苦茶な英語を自由に使いながら活き活きと暮らしているので、僕も感覚が麻痺しているのかもしれないが、「おまえの本は英訳で読めないのか」といつも尋ねてくる僕の友人たちは、この英訳第一版に対して、絶対に「揚げ足取りのネガティブな」コメントなんかしない。それは僕が確信している。「ない」ものが「ある」ようになったのだ。素晴らしいじゃないか。そのことのほうがずっと意味がある、そう皆が言うだろう。