ドッグイヤーで生きること、そしてそのスローダウン

ドッグイヤー、七倍速。
軽い気持ちで使う分にはいいのだが、真剣に考えると、この言葉はおそろしい。
1996年に生まれたジャックが、13年後の今2009年には、年老いて、足が少し弱り、寝ている時間が長くなった(相変わらず最高にかわいいけどね)。
それが本物のドッグイヤーだ。
僕が1994年にシリコンバレーに来て以来、このドッグイヤー・スピードに人間や組織はついていけるのだろうか、ついていけなければ負けるのだろうけれど、ついていけたとして何年くらい持つのだろうか、ということをずっと考えてきた。90年代から何度も何度もそのことを書いてきた。
短距離走のスピードを落とさずにマラソンを走ることができるのか、仮にできたとして何キロのところで倒れるのか、というような問いである。
途中で倒れる人や組織はたくさん見てきた。
異様なスピードで成長するベンチャーの草創期に四年間籍を置き、その間働きづめで、通勤途上の車の中で心臓の痛みを感じ、そのまま入院し、退職を決意した友人。彼と話をする機会があったが、やっぱり本物のドッグイヤーで生きると本当に寿命を縮めるね、最高に面白かったけど普通の人なら4-5年が限界かもしれないね、それにこんなこと若いときにしかできないよ、と彼は言った。
七倍速というのは、普通の一週間(七日)分を一日に凝縮して生きる、ということだ。受験の直前とか、短い期間なら、そういう経験を持った人も多いかもしれない。でもそれがずっと恒常的に続くとなれば、ずいぶん話が違う。
でもこの15年、ITやネットの世界では、そういうふうに産業が動いてきた。だからその世界で大きく成功した企業の内部(シリコンバレーでも日本でも)では、小さな成功の種を確固とした優位に変えるまでの一時期には少なくとも、ドッグイヤーの時間が流れた。そこから生まれる矛盾やひずみには目をつぶって、ドッグイヤーのスピードで走ることを最優先にした会社だけが大事をなし得たように思う。いっとき成功者になった後の個別の差異は、その後のプロセスをどのくらい上手にやったかの違いだろう。
最優先事項をドックイヤーで疾走することに置かず、ドッグイヤーで走ることを拒否して自分たちのペースで走りたいと思った人や組織は、残念ながら大きな達成ができなかった。そう総括できる15年間だったと思う。
不況になって以来の半年、我々はドッグイヤーで過ぎた15年の印象が強烈過ぎるため、ITやネットの進化が踊り場的状況を迎えていることに苛立ったり不安になったりしているが、このくらいが普通なんだ、という常識的感覚も重要なのではないかと思う。
JTPAカンファレンスでの講演でも話したように、ITやネットの世界はドッグイヤー15年(リアル換算すれば100年以上)の間に、おそろしく進化し、成長の時代から成熟の時代に移ろうとしている。それは間違いない。でも特に利用技術については、まだまだこれから始まるというほどの揺籃状況にあり、やるべきことは山のようにある。
そして、ドッグイヤーのスローダウンは、ある種、時代の必然で、この15年のほうが特異点だったと考えることもでき、このくらいのスピード感で時代が流れていたほうが勝機があるんだ、という視点も、特に日本人や日本企業には大切ではないかと思う。