棋聖戦観戦記に若干の補足をしておきます。
渡辺竜王のブログ、遠山四段のブログ、ものぐさ将棋観戦ブログなどで、ご紹介いただきましたが、概ね好評で、ほっとしています。頑張った甲斐がありました。
なにぶんリアルタイムで書かなければならず、長い時間をかけて書くと観戦ができないというジレンマに苦しみながらの一日だったので、本当はもっと書きたかったことが盛り込めなかったので、少しだけ補足しておきます。
五回の観戦記へのアクセスは、
http://sankei.jp.msn.com/column/7041/clm7041-t.htm
ここからがいちばん簡単なので、未読で興味のある方はここからどうぞ。
観戦記(2)の4ページ目で、
果たしていま対局者の2人は、この山崎−佐藤戦のあとをたどっているという意識を持ちながら、この将棋を指しているのだろうか。羽生挑戦者は、佐藤棋聖が3年前に勝ったこの将棋の、未来のある局面における秘策を用意して、この局面に誘導したのだろうか。もし聞けるものなら、対局終了後に、2人に尋ねてみたいと思う。
と書いた。この答えを一昨日の原稿のなかで書くことができなかった。
佐藤棋聖は感想戦で「この将棋は一度指してるんですよね」と言っていたから、佐藤棋聖が「山崎−佐藤戦」を意識していたというのは、感想戦の時点でわかった(がそれを当日書く気力と時間がなかった)。
そして、すべての原稿を午後10時少し前に書き終えて、約一時間遅れで、打ち上げの会場に着いた。「昨日は佐藤さんのお隣でしたから、羽生さんのお隣へどうぞ」と関係者に促されて、席に着いた。しばらく休んだあと、じつは羽生さんにこの質問をしてみたのだ。
羽生さんは当然でしょうという表情で、三年前の山崎−佐藤戦の内容を意識していたと言い、「山崎くんの▲1五歩(39手目)が悪手でしたからね、はい」とのことだった。
昼食休憩後まもなく羽生挑戦者が指した▲2七角(39手目)で、この将棋は完全に未踏領域に入った。この手が、羽生挑戦者の用意の手だったのだろうか。
と観戦記(3)の冒頭で書いたわけだが、これは「用意というほどのことはない」という言い方を羽生さんはされていたが、まあだいたい研究の範囲内だったようだ。
観戦記(2)の3ページ目で、
この後手一手損角換わり戦法とは、日進月歩、いや秒進分歩で進化が続いている「現代将棋の最新戦法」の一つである。にもかかわらず、この3年間、山崎−佐藤戦以来、一度も現れていない局面に、どうも羽生挑戦者が誘導している。
と書いた文脈で、「なぜ、この局面は三年もあらわれなかったんですか」と尋ねた。羽生さんの答えが面白かった。
「後手が、この局面にせず、別の変化に行くのが普通なんです。プロの将棋と言っても、いろいろあわせても一年にせいぜい2,000局くらいしかありませんから、そんなに同じ局面はあらわれないんですよ。じつは阿久津・勝又戦というのがありまして、その結果が影響したために、後手はこの変化にいく前に違う手を指すから、この局面があらわれなかったんです。でも佐藤さんなら、この局面まではいくんじゃないかな、とは思っていたんですよね。はい」
とのことであった。
「2,000局くらいしか・・・・」ですか。羽生さんの頭の中はどうなっているんでしょうね、本当に。
その少し先、観戦記(2)の5ページ目で、
佐藤棋聖は、いまここが勝負どころだろう、という鋭敏な感覚で、こんこんと考えているのだろうと思いながら、私は佐藤棋聖を見つめていた。
昼食休憩15分前に、35分考えた佐藤棋聖は△4五銀(38手目)と出た。この手も相変わらず山崎−佐藤戦を踏襲している。羽生挑戦者はこの手を見て「うん、うん」と大きくうなずいた。と同時に、佐藤棋聖は、激しく咳き込み、トイレに立った。
なんという密度の濃い時間、息詰まる空間なのだろう。
と書いたが、この部分について感想戦で佐藤棋聖は、「△4五銀と上がらないで何かないかとずっと考えていて、わからなかったんで、△4五銀で仕方ないかと思ったんですよね」と言った。それを聞いた羽生挑戦者は「えっ、上がるでしょ。△4五銀上がるしかないでしょ。そう思っていましたよ」と返した。
「うん、うん」と大きくうなずいた
と書いた場面の内面は、そういうやり取りだったようである。
さて、観戦記(3)の2ページ目に
ここで佐藤棋聖が長考に入ったのだが、次の一手は42分後に指された。
「1秒も考えなかった手だよー」と渡辺竜王が叫んだ。△4二玉である。
「2四と3四に歩が垂らしてあるところに玉が近づいていくなんて、考えられない手だな。佐藤流ですかねえ。羽生さんも1秒も考えてなかったんじゃないかなあ」(渡辺竜王)
と書いたが、対局を終えた翌朝、皆で高島屋をマイクロバスで出発する直前に、旅館の玄関脇のテーブルで佐藤さんとコーヒーを飲んでいたとき、控え室の話をしたら、
「へえ。渡辺くんがいろいろ好きなこと言ってましたか。そうでしょうね。はっはっは。たしかに、△4二玉は、普通は考えない手かもしれませんね。でもここで金に紐をつけておかないと、あと戦えないと思ったもので・・・」
とおっしゃった。渡辺竜王が好きなことを控え室でしゃべっていたという話について、心から嬉しそうにしている佐藤さんが印象的だった。
そして最後にもうひとつエピソード。
対局室の中でのおそろしい緊迫感のなかで、僕が強く思ったのは、記録係の田嶋尉三段(奨励会)の立派な姿だった。
記録、秒読みの仕事を完璧にこなし、しかも一度も正座を崩さない。じっと盤面を見つめて両対局者と一緒に、考え続けていた。
それで、佐藤さんとコーヒーを飲んでいた傍らにいた田嶋くんに向かって、僕はこう言った。
「もう少し時間があったら、あなたのことを書きたかったんだけど、力尽きてしまって。でも記録係って、本当に大変な仕事ですね。」
そうしたら、田嶋くんが僕に何か返事をする前に、間髪入れず、佐藤さんが真顔でこう言った。
「修業ですから。あんなこともできないようでは、その先にプロとしてやっていくことはできませんから。プロの仕事はもっともっと大変ですから」
佐藤棋聖は、硬派の厳しい人なのだ、と改めて思ったのだった。