翻訳とネット

日経新聞を読んでいたら(10月11日衛星版、日本だと夕刊かな)、翻訳家の青山南氏の「翻訳とネット」についてのインタビューが載っていて大変面白かった。ベストセラーとなった亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」、村上春樹訳「ロング・グッドバイ」をはじめ、最近は新訳出版が盛んで、読者としては嬉しい限りなのだが、新訳が盛んになったことは「ネットの後押し」が一因だと青山氏は見ている。

ネットによって時間、空間が離れたものに近づくことが可能になった。十八―二十世紀初頭の文学も時代性を理解しやすい。古典文学の新訳が盛んなのも、ネットの後押しが一因だと思う。今までは得られなかった情報が入ってくることで翻訳が変わってくる。

なるほど「新訳ブームとネット」をそんなふうに考えたことはなかったが、確かにそうだ。ネットは、何かこちら側に問題意識があって能動的に対峙したときと、ぼんやりと受動的に対峙するときでは、全く異なる相貌を見せるわけだが、「別の言語の単語の連続」と向かい合って著者の真意を理解しようとする仕事に、これほど向く道具はない。
ここ数日、六十年代から七十年代の米国のカウンターカルチャーとコンピュータ産業発展史におけるシリコンバレーの関係について、大量の文章を読んでいるのだが、ネットがない時代はどういうふうに物事を理解しようとしていたのかをもう思い出せないほど、こういう仕事をしていると「能動的なネット利用量」が上がる。
もうとうに絶版になっているのだが、一九九二年に一冊だけ翻訳本を出したことがある。当時勤めていたコンサルティング会社の米国本社シニア・コンサルタントたちがまとめた情報技術の未来予測の本だった。その頃はネットがなかった。当時の自分の英語の実力もさることながら、「たぶんこうだろう」と理解して読み進めるのと「絶対こうだ」と自信を持って日本語に移し変える間に、たいへん大きな溝があり、その自信・確信を得るための確認作業に膨大な手間がかかって、本当に苦労したのをよく覚えている。
著者は会社の大先輩とはいえ同僚ではあったから、どうしてもわからないところは著者にFAXを送って聞くことができた。それができることを大変幸運でありがたいことと、当時は思っていたが、ネットのある今となってはいろいろな意味で隔世の感がある。
途中で何度も翻訳を投げ出したくなったとき、沢木耕太郎訳「キャパ」の訳者あとがきを読んで気持ちを鼓舞していた。彼も甘い気持ちで引き受けた翻訳に苦労し続ける。そしてこう気付いて、前に進むことができるようになる。

私も途中で気がついた。要するに、翻訳といっても、わからないところがあれば、ルポルタージュを書くつもりで取材をすればいいのだ! それ以来、私は、友人や、知人や、友人の友人や、知人の知人にまでも範囲を広げて、「恥も外聞もなく」わからないことは訊ねて回ることにした。それから、いくらか訳すのが楽になった。

これを読んでから「なるほど」と思い、わからないことをたくさんの人に教えてもらってまわった。まさにこの「翻訳の方法論」こそ、今ならネットが支援してくれるわけだ。
「取材対象」は検索エンジンを通して知る全く新しいサイト、またそこからの参照で知る無数のサイトであり、そこでわからないことは、ネイティブ・スピーカーの友人やドメイン知識を持った知人とのIMだったりメールだったりで補う。
僕は翻訳を生業にしていないから「生産性」(一日あたりの生産量みたいな意味)という感覚は全くわからないのだが、翻訳の「生産性」はネットでどのくらい上がったんだろうか。