昭和の名稿「金子教室」

将棋世界」だけでなく「近代将棋」もサンノゼ紀伊国屋経由で定期購読することになってしまった。定期購読申し込みが何とか間に合って四月号を入手(サンノゼ紀伊国屋には「近代将棋」が三冊しか入荷しないのだ)。金子金五郎フリークとしては、四月号から「別冊付録」で始まった「昭和の名稿「金子教室」」を入手せねばとけっこうあわてた。
永井英明氏の「「金子教室」の思い出」という文章が別冊冒頭にあった。

先生は、仏の道と、推理の解明の二つに生涯を捧げられたと言えると思います。
それだけに、将棋の解説には燃えるような情勢を傾けられました。
本誌はそれから「金子教室」が評判になり、固定読者を確実に増やしていきました。
先生が本誌に初めて筆をとられたS25、26年頃は、電話も普及していなくて、原稿の催促などに電報を使った時代です。
「ゲ ンコウオクリネガ ウ」と打ちますと翌朝、先生がウチワ太鼓をたたき、南妙法蓮華経を唱えながら、拙宅にお越しになります。
それから一心不乱に筆をとられます。
何枚か書かれても、気に入らないと、破って書き直し。それが繰り返されます。深夜に及ぶことはしばしばのことでした。
精根つくされた「金子教室」ができ上がりますと、側にいた私もぐったり、そういうことが、毎月繰り返されておりました。

別冊付録「第一巻」は升田幸三特集だ。
升田幸三は「思い出の観戦記 名人戦名局集 金子金五郎」(弘文社)に「序」を寄せて、その中でこう書いている。

棋士としての金子さんは、私どもの先輩であり、ご承知のように昭和の初期、名人位を争ったほどの人だから、将棋を通して後輩各棋士の個性を的確に把握しておられる。しかも読者に向かって親切心があるから、手の説明がわかり易い。
わかり易いけれども、上面をなでているのではない。実は深くえぐっている。そして自分にわからぬところがあれば「わからん」と言っている。態度がはっきりしている。おざなりの妥協をしないのだから。金子さんの場合、執筆する時は地獄ではないか。私はそのように感じ、求道者の姿を見る。
この観戦記集は、愛好者はもちろん。将棋を知らない人も読んでみる必要があるのではないか。人間の魂をゆさぶり。覚醒させる何物かがそこにある。

升田も凄い文章を書いたものである。
僕が金子に惹かれてやまないのは、「執筆する時は地獄ではないか」と升田に想わしめる金子の文章には、本当に升田が書くような「魂のゆさぶり」、読む者を「覚醒させる何物か」が確実に存在するからだ。そしてそれを感じることが、いまという日々を生きる糧となるからなのである。
「金子教室」別冊付録連載が、いずれ金子が書いたすべての観戦記を網羅するほど長く続き「近代将棋金子金五郎観戦記全集」になることを祈りつつ(僕はこの別冊付録「昭和の名稿「金子教室」」が続く限り「近代将棋」を買い続ける)、また復刻を決断された「近代将棋」編集部に敬意を表しつつ。