お金のリテラシー、「路頭に迷う」、「向き不向き」「好き」と競争力の関係
さて次はねと要素をどんどん並べていくとかえって本末転倒になるので、「ウェブ・リテラシー」「友達のネットワークに働きかける営業力」ともう一つでやめる。もう一つは「お金のリテラシー」だ。そう書こうと思っていたら、先に書いてくれた人がいた。「Jun Seita's Web」の「「好きを貫く」ための「お金・リテラシー」だ。
「好きを貫く」と心に秘めた日本の18歳にまず必要なのは「お金・リテラシー」ではないだろうか。「資本主義・リテラシー」と言ってもいいが、それほど堅苦しいものではない。半日あれば十分だ。
「ウェブ・リテラシー」などの「What」から入るにしても、この「How」だけは先に知っておいて損は無い。なぜなら日本を含め多くの社会はこのルールが基盤レイヤーとして採用されているからだ。
どうぞ全文をどうぞ。追記。岩瀬君が「本当のおカネ・リテラシー」を書いてトラックバックしてくれた。四つのルールとのこと。
ルール#1:お金については、管理や理解に時間と労力を使うかどうかによって、最終的に手元に残るお金は大きくかわる。だから、さぼらずにまずは努力をしてみよう。
ルール#2:お金は難しいことも少なくないが、お金に詳しい人は、世の中にごまんといる。自分で理解できなくてもいいので、信頼できるアドバイザー(ウェブサイトや本でもOK)を見つけ、その人を上手に活用しよう
ルール#3:金融市場は効率的であるから、金融商品には「おトク」というものはない。すべてはトレード・オフの関係にある(リターンが高いものは、リスクが高いか、コストが高い)。これを徹底して理解せよ。そして、自分にとってそのトレードオフのどの要素がより大切かを、考えて選ぶようにせよ。
ルール#4:お金をもっていても幸せになれていない人はたくさんいる。お金を持っていなくても、幸せな人はたくさんいる。足ることを知るとともに、お金は手段に過ぎないことを理解し、自分にとって本当の幸せとは何か、考えることこそが大切。
「お金に詳しい人は、世の中にごまんといる」というのは本当にその通り。
いずれにせよ、この三つの要素を頭に置いておいてほしいと思う。
ところで日本語でよく使われる言葉に「路頭に迷う」というのがある。「いったん属した組織を一度も辞めたことのない人たち」がこの言葉をよく使う。「組織を離れる=路頭に迷う」というような言い方で。「路頭に迷う」って、人々の潜在意識に「恐怖心」を植えつける強すぎる言葉じゃないのかな。「組織と個の関係・距離感」において、個が主体的にその関係をデザインする生き方を身につければ、「組織を離れる=路頭に迷う」、「組織を離れたら、別の組織への所属を求めるか、規格化されたパートやアルバイトの仕事しかない」みたいな「息苦しい発想」から自由になれるのではないか、と思うのである。
感想の中に、自分に本当にできるかなぁ、それは限られた人だけの可能性では・・・みたいなものが多いんだけど、そんなに難しくないはずだよ、と言っておきたいだけ。このへんは「対象が全員」ということはあり得ないから、伝わる人に伝わればと思う。その範囲が少しでも広ければと願う。「天は自ら助くるものを助く」的な主張だから、「対象が全員にはあてはまらないよ」という批判を覚悟で書いている。日本では特に自己評価の低い人が多いから(アメリカは概してその逆で、ちょうど真ん中くらいがいいよといつも思う)、それは特別な人だけが・・・という議論になりやすい。でもそれを避けつつ優等生的に言えることとなると「制度やシステムの問題を指摘してそこを直そう」という話になりがち。そういう言論は物議をかもすことはないし、責任転嫁のカタルシスを生むし、書きやすいんだけど、問題はそれだけではなかなか解決しないというのが日本の現在なんじゃないかなと、僕はそう思っているということです。一人ひとりの心根の問題がとても大きいんだと思う。「ウェブ人間論」の「おわりに」で
たとえば、平野さんは「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する人である。まじめな人なんだなあと、話せば話すほど思った。
その点に関して言えば、私はむしろ「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。社会をどうこうとか考える前に、個がしたたかに生きのびられなければ何も始まらないではないか、そう考えがちだ。
と書いたけれど、こういう立場を取るのは、僕自身のこんな「傾向」ゆえでもある。
もうこれ以上しつこくは言わないけど、そのことを頭の片隅にとどめておいてほしいと思う。余談になるけど、「しつこい」って大切なことだよ。僕は若いときから「お前はしつこい、その話はもう聞いた」と先輩たちからよく言われたけれど、「伝えたいこと」を一度語ったから伝わるなんてことは絶対にない。「伝えたいこと」を語ることに飽きない、というのは、コミュニケーション力の中では、とても大切なことだ。
それで「しつこい」ついでにもう一つ。
この一連のエントリーを書いた背景の問題意識に、人それぞれの「向き不向き」「好き」「傾向」と「競争力」の関係という問題がある。「自分に向いたこと、自分が好きなことをしているからこそ、長くそのことを継続でき(我慢するんじゃなくて)、その継続が力となり、競争力になる、よってサバイバルできる確率が上がる」ということを強く確信しているからだ。
「「好きを貫く」ことと大企業への就職」の中で挙げた「次のようなタイプの人は概して日本の大企業に向いていて、概してこういうタイプの人が大企業で成功している」と書いた9項目は、「大企業の上位20%」で活躍している人にかなり共通する「隠れた資質」だと思っている。
僕自身はじつはこの9項目がほぼ全部ダメなのでよくわかるが、全く向かない人間とすごく向く人間が同じ土俵で戦うと、途中までは何とか「頑張り」でやっていけるからいいんだが、三十年とかかけてという話になるときっとかなわないよなあ、ということをいつも思う。大企業・大組織と親和性の高い人達こそが、大企業・大組織で活躍すべきだ。多くの人が感想で書いているように、大企業には大企業の醍醐味がある。素晴らしい大企業ってたくさんあるよ。その醍醐味を感じられる人は、そこで楽しく自己実現できるだろう。でもそうでない人はこれをよく読んでね、というのが、一連のエントリーの背景にある意図だ。
いよいよ、もうすぐ松坂の初先発だ。
「平日の午前11時10分」に「野球@HOME」とスケジュール表に自由に書き込める人生(仕事なんて代わりに朝早く起きてやれば一緒なんだから)を、僕はずっと心の中で求めていた(1995年に野茂が初先発したときはまだ大組織に勤めていて、アメリカに来たばかりで、ぜんぜんそんな余裕も自由もなかった)、でもそんなことを求めない(考えもしない)人もいる。「好き」で「飯を食い」、人と自分を比較せず、自分で自分の時間のすべてをコントロールする人生を、僕は求めていた。ウェブの進化って、そういう可能性がより多くの人にどんどん開かれてくるタイプの変化なのではないだろうか。と、そういうことかな。野球の話はもちろん半分冗談だけど。
ちょっとまたしばらく忙しくなるので、更新はまたいずれ。