佐藤優・獄中の知的生活

新潮45」誌8月号「こんなに快適「小菅ヒルズライフ」」

私が収容されていた独房の両隣はいずれも確定死刑囚だったが、二人はどうしているのかと思うと、保釈され外界で、自由を拘束されずに生活をしている自分が生きている時間を無駄にしているのではないかと自責の念に駆られる。そうすると無性に文章を綴りたくなるのである。死刑囚たちとの出会いで私自身の思考の回路に説明不可能なねじれが生じてしまったのである。

そこの4畳半の洋間を東京拘置所の独房に似せた「思索の間」にしてみた。そこに独房にあったのと同じ小机を置き、読書をしてもあの独房でのように思考が深まっていかないのである。独房ではよく夢を見た。その夢には、ロシアやイスラエルで親しくしていたインテリたち、(中略)、スイスやチェコ神学者がよく出てきた。私は夢の中で、これらの人々や猫たちと様々な議論をした。保釈後、これらの人々も猫たちも夢に現れなくなってしまった。(中略) 512日間の独房生活で読んだ書籍は220冊、綴った思索ノートは62冊になった。

週刊東洋経済」8/12・19合併特大号「佐藤優の「わが獄中読書記」」

思索ノートの約三分の一は本からの抜粋と感想だ。外界から遮断された獄中では思考が研ぎ澄まされる。そこから新しい着想が生まれてくる。(中略) 不愉快な取り調べと裁判がないならば、もう一度、独房に入って読書と思索に集中したいと半ば真面目に思っている。

現代社会では情報が山ほどあり、国民の教育水準も高く、一人ひとりがその気になれば情報を検証することも可能であるのだが、面倒なので自分の利害に直接絡む問題以外はそのような作業をしない。
 そのうち、自分の身の回りにある情報が疑わしいと思っても、新聞やテレビなど権威を持ったマスメディアが報じるのであるから、納得できないことがあっても、きっと誰かが自分を説得してくれるという「順応気構え」が出てくる。そして知性自体が受動的になってしまい、自分の頭で考えることができなくなってしまうのである。逆に言うならば、自分の利害に直接絡む問題でなくても、興味のある問題について自ら検証する訓練をすることで「順応気構え」から脱していくことも可能なはずだ。獄中での読書と思索は私が「順応気構え」を脱するよい契機になった。