桂米朝と沼野充義
僕の落語鑑賞の師匠は、某誌副編集長のMさんである。そのMさんがあるところで書評を書いていて「談志百選」
- 作者: 立川談志,山藤章二
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/03/06
- メディア: 単行本
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けど、米朝さんの如く、その行為が上方落語全般に及ぶというのは一体何がその動機になっているのだろう。ま、頭の何処かに、己れの人生を託した上方落語の衰退の現実を知っていて、それを何とか盛り返すべし・・・という行為、つまり"自分の芸の中での処理"の範疇ではあろうけれど、それを拡大し、ターゲットを「上方落語全体」に決めた、という事実は、何処から、何時ごろから始まったのか・・・ま、自然天然と発生してきたものであろうが、よくも、まア、こんな物凄い、巨きなものと対決をしたものだ・・・。待てよ、桂米朝にとっては、さ程のことではなかったのかも知れない・・・。
でなきゃ、ああは出来まい、やるまいに・・・人間、出来そうもないものに本気でぶつかり、「努力で解決」なんて嘘である。才能もないのに、巨大なものに挑戦する奴あ唯のバカで、結果バカだから駄目に決まってる。
してみりゃ、「ナーニ上方落語なんざァ、米朝(おれさま)がチョイと手を染めりゃ、すぐにでも活性化すらあ」とやったのだろう。だから、あの結果になったのだ。
このあと上方落語の技術的困難さについての解説があり、「いやネ、このくらい云っとかないと桂米朝の評価が低すぎる。」と結んでいる。
引用部冒頭の「その行為」の「行為」とは、一つ一つの上方落語について、古老たちの芸の形式を吸収した上で再構築し、現代の感覚も入れて作り直す「行為」のことである。
「談志百選」に続いて読んだのが、「200X年文学の旅」
- 作者: 柴田元幸,沼野充義
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2005/08/27
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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あとがきの中で柴田元幸が、
むろん「文学の旅」とは、何よりもまず読むことであり、その大半は仕事机の前か、ソファの上かでなされる。だがもちろん沼野君は、自宅の仕事机だかソファだかにも長時間貼りついた上で、かつ旅も実践しているのである。いったいいつ寝ているのだろうか。あるいは、二十四時間を二十四時間以上にする、ロシアの秘法を会得しているのだろうか。
と、冗談めかしてこう書いているが、本書を読むと確かに自然にそんな感想を抱く。ほとんどの日本人が見向きもしない現代ロシア文学、東欧文学の復興に情熱を燃やす沼野の「行為」は、衰退していくばかりの上方落語を復興した桂米朝の「行為」と、何か相通ずるところがある。
そして、こうした「行為」を単に「使命感から来ている」などと凡庸に言わないところが、談志の文章の凄いところだ。談志の米朝論は、人間の「器」とは何なのかということを深く考えさせてくれる材料として、僕の頭の片隅にきっと残り続けることだろう。