佐藤康光棋聖の名局

淡路島に将棋を観に行った。棋聖戦第三局。佐藤棋聖対羽生四冠。これが今年の僕の夏休み。羽生さんとは例の「高速道路論」の話をした昨年11月以来の再会。しかし結果は、佐藤棋聖のぞくぞくするような凄い将棋を堪能することとなった。同世代に素晴らしいライバルを持つ幸福というのが、羽生世代にはあるのだなとつくづく思った。
互いに軽く構えあった後に組み合った瞬間には、先手のほんのわずかな隙ゆえに、実はもう勝負がついていた、そういう将棋だった。
第一局、第二局と「後手一手損角換わり」をそれぞれ先手が制して一勝一敗で迎えた第三局。前夜祭で関係者たちは「佐藤棋聖は明日も一手損角換わりでいくのではないか」と言っていた。対局当日。時差ゆえにどうせ早起きしてしまったので温泉で朝風呂に入った後「将棋世界」で第一局、第二局を予習。
8時45分、関係者とともに対局室で二人の棋士の登場を待つ。シリコンバレーとも東京とも全く違う静寂の異空間。9時対局開始。後手佐藤棋聖の初手は8四歩。予習してきた「後手一手損角換わり」ではなく「矢倉模様」の出だしである。先手羽生四冠はごく自然な手を指すのに対し、後手佐藤棋聖は5筋を突かず6筋から銀を繰り出し、三手で角を8四に持ってこようという「大山・升田時代」を思わせる趣向で対抗。

▲7六歩 △8四歩 ▲6八銀 △3四歩 ▲6六歩 △6二銀 ▲5六歩 △6四歩 ▲7八金 △6三銀 ▲4八銀 △3二金 ▲5八金 △4一玉 ▲6九玉 △7四歩 ▲6七金右 △3三角 ▲2六歩 △5二金 ▲3六歩 △5一角 ▲5七銀右 △8五歩 ▲7七銀 △4二銀 ▲4六銀 △4四歩 ▲7九角 △5四銀 ▲3七桂 △8四角 ▲3八飛 △7三桂

この34手が、剣豪の構えあい、格闘家の組み合いに相当するやり取りであるが、ここからの数手で本当に勝負がついてしまったのだ。ここからの五手は「▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀 △6五歩 ▲4四銀」であり、▲4四銀が指されたのが昼食休憩直後の午後一時過ぎ。
羽生四冠の「▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀」という自然な攻めを呼び込んだ瞬間に、佐藤棋聖反撃の「△6五歩」。羽生四冠は「▲4四銀」で攻めの継続。とても自然だ。ここで勝負がついていたなんてそのときは誰も思っていない。「面白い攻め合いが始まった」と関係者控え室はようやくこの頃に盛り上がってきたところだったのだが、実はここで勝負は終っていたのである。
対局後に行われた感想戦で、羽生四冠は「▲4四銀」のあとは「勝ち」がないと認め、それ以降の戦いの検討にはあまり身が入っていないように見えた。感想戦では「▲4四銀」ではなく「▲2五桂」として、おそろしく激しい斬り合いに突入する変化を細かく細かく二人は調べていた。「▲2五桂ならば難解」という結論に一応は到達したが、羽生四冠はその前の「▲3五歩 △同 歩 ▲同 銀」が問題だったのかもしれないと考えているようだった。だとすれば、佐藤棋聖の練りに練った「構え」に対して、ごく自然に攻めていく順自身が疑問ということになるわけである。「互いに軽く構えあった後に組み合った瞬間には、先手のほんのわずかな隙ゆえに、実はもう勝負がついていた」ような将棋と書いたのは、そういう意味だ。
つまり、「▲3五歩」ではなくて「▲5五歩 △4三銀引 ▲6八角 △3一玉 ▲7九玉 △6二飛 ▲8八玉」と持久戦模様に展開すべきだったのか、でもそれでも先手が嫌かもしれない、というのが羽生四冠の感想だったように見えた。佐藤棋聖は、こうしたすべての変化を予め構想して、実現するかどうかわからない狙いの一つとして胸に秘め、淡路島の棋聖戦第三局に臨んでいたのである。
翌朝、佐藤棋聖と会ったとき、「この将棋に心から感動した」と僕は言った。
プロ棋士の間でも「いつの日か将棋ソフトが自分たちよりも強くなったらどうなるのだろう」という話題で持ちきりの今、僕は佐藤棋聖のこの日の将棋に「人間の可能性」を見た気がした。いつの日にかプロ棋士の最高峰と将棋ソフトが雌雄を決するとき、佐藤棋聖のこの日の指し回しのように、プロ棋士がコンピュータに勝つのではないか。そんな夢想をした。
いずれ「F1のようにコンピュータと人間が協力して戦う頭脳スポーツ」へと将棋が変化していく可能性について佐藤棋聖と話をしていたら、彼は
「そういうふうには考えたことがなかったけれど・・・」
「でもそうなると、棋譜が完璧になるでしょうね」
と言った。佐藤棋聖は「完璧な棋譜」を求める素晴らしく純粋な学究のような棋士なのであった。