産経新聞7/4正論

ネットの開放性は危険で悪なのか
巨大な混沌こそがフロンティア (梅田望夫)

《“遅れた米国”の底力とは》
 インターネットの真の意味は、不特定多数無限大の人々とのつながりを持つためのコストがほぼゼロになったということである。
 ネット社会という言葉で示されるように、インターネット上には、善悪、清濁、可能性と危険…そんな社会的矛盾の一切を含んだ混沌が生まれた。そして「次の十年」を考えれば、好むと好まざるとにかかわらず、その混沌がより多くの人々のカネや時間を飲み込んでどんどん成長し、巨大化していくに違いない。
 日本の携帯電話とブロードバンド(高速大容量)のインフラは、ほぼ世界一の水準にある。「光ファイバー接続でインターネットを家庭から安く使える」なんて話をアメリカ人にすれば、憧れのまなざしで日本を見つめる。インフラ面ではもう日米大逆転が起きてしまったのだ。
 私たちより上の世代には「IT(情報技術)といえば何でもアメリカが圧倒的に進んでいて日本はどうそれを追いかけるか」という発想が染み付いているが、日本の若い世代は全く違う。つい先日、シリコンバレーに赴任したばかりの日本企業駐在員(25)がこんな感想をもらした。
 「アメリカって日本よりずっと遅れているのに、インターネットの中はすごいんですねぇ。アメリカの底力を感じます。ショックでした」
 私は一瞬耳を疑った。「アメリカが遅れている」という前提からまず入る発想が私にはとても新鮮だったからだ。でもこれが、携帯とブロードバンドでは世界一のインフラを持つ日本で育った若い世代のアメリカに対する自然な感想なのである。では、その彼が「すごい」と言い、「底力を感じ」てショックを受けたアメリカの「インターネットの中」とは何なのか。
 それは「ネット社会」という「巨大な混沌」に真正面から対峙(たいじ)し、そこをフロンティアと見定めて「新しい秩序」を作り出そうというアメリカの試みが、いかにスケールの大きなものかについての驚きだったのである。

 《「石」から「玉」を選び出す》
 日本の場合、インフラは世界一になったが、インターネットは善悪でいえば「悪」、清濁では「濁」、可能性よりは危険の方にばかり目を向ける。良くも悪くもネットをネットたらしめている「開放性」を著しく限定する形で、リアル社会に重きを置いた秩序を維持しようとする。
 この傾向は、特に日本のエスタブリッシュメント層に顕著である。「インターネットは自らの存在を脅かすもの」という深層心理が働いているからなのかもしれない。
 アメリカが圧倒的に進んでいるのは、インターネットが持つ「不特定多数無限大に向けての開放性」を大前提に、その「善」の部分や「清」の部分を自動抽出するにはどうすればいいのか、という視点での理論研究や技術開発や新事業創造が実に活発に行われているところなのだ。
 「世界政府っていうものが仮にあるとして、そこで開発しなければならないはずのシステムは全部われわれが作ろう」。これは、世界中が注目するシリコンバレーベンチャー企業グーグルの開発陣が持つミッション(使命)である。グーグルは「不特定多数無限大の人々によって作られ、日々増殖する地球上のすべての情報を、瞬時に整理し尽くす」ことを目指し、玉石混交のネット上から「石」をふるい分けて「玉」を見いだす技術に磨きをかける。

 《新たな価値創出の可能性》
 既に時価総額は八兆円を超え、グーグルをメディア企業と見るなら、創業わずか八年で既に世界一の存在となったのである。
 グーグルばかりではない。不特定多数の意見をどのようなメカニズムで集積すると一部の専門家の意見よりも正しくなるかについてのwisdom of crowd(群衆の英知)。見知らぬ者同士がネット上で協力して新しい価値を創出する手法「マス・コラボレーション」。ネット上にたまった富をどう分配すべきかという意味での「バーチャル経済圏」…。インターネット上の開放空間で、新しい理論の研究から実験システムの開発、さらには事業創造のトライアルまでが繰り広げられ始めたのだ。
 日本もそろそろインターネットの「開放性」を否定するのではなく前提とし、「巨大な混沌」における「善」の部分、「清」の部分、可能性を直視する時期に来ているのではないか。「日本がアメリカよりも進んでいる」という前提で物事を発想できる若者たちが大挙して生まれたことは、日本の将来にとっての明るい希望なのだから。(産経新聞社の了解を得て転載)