「ブログは面白いな」と改めて思った

雑誌や新聞の原稿の締め切りが重なっていて、ここに何か書いている場合じゃないんだけれど、あんまり面白いので、朝起きるとどうもこっちを書いてしまう。それで他のことが押せ押せになっていく昨今だ。
トラックバックいただいた「勉強のできない人から職を奪う生き方の提案」
http://deztec.jp/design/05/06/25_job.html
を是非読んでほしい。このエントリーの一つ前に書かれた「梅田望夫さんが見ている、どこか遠い世界」
http://deztec.jp/design/05/06/23_real.html
だけだと色々な読み方ができてしまうが、この二つをセットに読むと徳保さんというこの二つのエントリー筆者の凄さがよくわかる。
宮台真司が「まったり生きろ」と言い、森永卓郎が「年収300万円幸福論」を説く中で、「そこまで書いちゃまずいだろう」という(たぶん)自己規制ゆえに書けなかった(だろう)ことが、ここにはちゃんと書いてある。コマーシャルメディアでは色々な理由で書かれにくいいタイプの文章という意味で、ブログというメディアの真の可能性を実感した一瞬でもあった。徳保さん自ら「残酷な話」とあえて強調し、

年収300万円で納得できるなら、お勉強のできる人は幸せになれます。ただしそれは勉強できない(しない)人から仕事を奪った結果です。でも自分ひとりの幸せを考えるなら、まずはそれでいい。私が書いているのは、そういう残酷な話です。

こうお書きになっているが、全くおっしゃる通りで、こちらのほうへ向かっていく生き方はあります。だから、僕が「全く役に立たない」とか「使い物にならない」と表現したのは、厳密に言うと不適切でした。でも、徳保さんのおっしゃるような「生き方」で「食える」だけでなくちゃんと幸福になるためには、「勉強能力」とは全く異次元でもっと奥の深い「人生の達人」的素養を実は必要とします。大変化に直面しても何とかしようともがく中で多くを学び成長しちゃんと稼いでサバイバルしようという「生き方」よりも、ある種の人々にとっては、とてつもなく難しいことなのだろう、と僕は考えています。逆に言えばこの「ある種の人々」が、徳保さんから問われた「本欄の読者層は誰なのか?」という問いの答えになっているのかもしれません。
でもこういうふうに頭を整理できたことはとても有難いことでした。「ブログは本当に面白いな」と改めて思いました。