コップ半分の水を見て

半分まで入っているコップの水を見て、「半分しか」(残っていないぞ大変だ)と思うか「半分も」(残っているから安心だ)と思うか。僕自身、生きていくさまざまな局面で、「半分しか」と「半分も」を使い分けている。
「失業率が5%で大変だ」も「失業していない人が95%もいるから安心だ」に読み換えることができる。いくら事業が斜陽傾向にあっても「5年で売上げが半分以下になってしまう」ケースはそれほど多くない。これも「5年経ったって半分近くある」と読み換えることができる。こういう例は枚挙にいとまがなく、ここ数日のエントリーに対する反応の中にも「コップ半分の水」論っぽいものがだいぶ含まれてきた。
本欄の立場は、「半分まで減る」なんていう目に見える変化より前の、「コップの水が減り始めているぞ」あるいは「減る気配があるぞ」くらいのところで「大変だ」と言ってみよう、という趣旨のブログだと思っていただければいい。ITが絡む世界での「次の十年」を考える、というのはそういうことだと思っているからだ。ITの怖さを熟知している人、ITの可能性を察知している人には、これ以上何も言わなくても、僕が言いたいことは伝わるだろうことを信じている。十年前といえばグーグルの創業者たちもただの学生だったんだからね。
もちろん現実世界に目を向ければ、一昨日の「「勉強」特権階級の没落」にしたって、では日本のそういう層が皆「没落」していくかと言えば、絶対にそんなことはない。世の中の変化はITの最先端での変化とは違う時計で時が刻まれているからだ。

もし僕が日本の大組織の再建を任されたとしたら、まずすることは「この層」の中で飛び切りすぐれた人材(プロスポーツ選手クラス)をほんのわずか残し「この層」の大半を組織から一掃することを「組織のゴール」と設定し、そのためにはどういう順番で何をやっていくべきかを考えていくだろう。

と書いたけれど、共同体の長たる日本企業の社長は絶対にこういうことは考えないから、倒産でもしない限りは、ほとんどこういうことは起きない。ただ退潮傾向にあるセクターは保守化し、「新しいことへの感性」に敏感で「チャレンジ精神」に溢れる人にとっては耐えられない環境になっていくことは事実。
こうした層が、日本企業の40代、50代にかなり分厚く溜まっていることが問題だと僕は思っているし、本欄の読者である若い世代にそうなってほしくないと思っているけれど、同世代以上の当事者たちと腹を割って話せば、最後にはいつも現実的な「逃げ切り」論になる。「自分の年齢くらいまでは、ギリギリ逃げ切れるんじゃないかと思うが、どうかな」的な議論だ。僕も何かの拍子で日本企業に勤め続けていたとしたら、今頃そういう計算をしているだろうと思うから、その感覚はとてもよくわかる。それも立派なサバイバル戦略だ。ただ、もうそういう話は飽きちゃった! そんな感じの「コップ半分の水」論だっていくらでもできるのだが、本欄の趣旨に沿わないので、そちら方向には議論を向けていかないつもりである。
何でまたこんなことを書いているかと言えば、このブログのアクセス数が、4月から「英語で読むITトレンド」を再開したこともあって、最近、CNET連載時のアクセス数に近くなってきて、前提となる「お約束」を再確認しておいたほうがいいと思ったからだ。
本欄では元々の趣旨通り、ITの世界における「変化の予兆」を察知して「チャレンジ」することに面白さを感ずる人たちに向けて、「おっちょこちょい」を承知の上で、新しい「変化の予兆」に一喜一憂してみようと思っています。