「勉強」特権階級の没落

楠正憲氏の「わたしのチープ革命
http://d.hatena.ne.jp/mkusunok/20050626/p1
が面白い。フォーサイト誌「ウェブ社会[本当の大変化]はこれから始まる」
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u105.html
を一部引用してくださっているわけだが、この「わたしのチープ革命」もブログならではの、商業誌では書きにくい内容で、僕がこの論文の中に書き込みきれなかった「本音の部分」を補っていただいている。本欄でここ数日にわたって、僕がなぜ「勉強好き少年」云々などという言葉を使ったり、「大企業に勤める同世代の連中」について思い巡らせているのか、ということとも密接に関係する。
楠氏は自らが記者志望だったということもあり、新聞記者という職業を例にあげて本論を書かれているが、ポイントはここだ。

寄らば大樹,いわれたことを手際よくこなしていれば将来を約束されていたはずの人々には世知辛い世の中になったのかも知れないけれども,少なくとも僕にとってはフェアな競争が約束され,人生の幅も大きく広がった.チープ革命の進展は,活字やIT・放送・通信だけでなく,もっと幅広い範囲で無意味な障壁を崩していくことになるのだろう.それは一部の特権階級にとっては悪夢だけれども,才能ある疎外された人々と多くの消費者にとっては朗報のはずである.

文中の「寄らば大樹,いわれたことを手際よくこなしていれば将来を約束されていたはずの人々」イコール「一部の特権階級」とは、僕が前エントリーで

「日本の一流大学を出て日本の一流企業に勤める」良さというのは他の人生の選択肢と比較して相変わらずある。だから気をつけなくちゃいけない。大組織の大組織たるゆえんは、大きな枠組みの中で広義の「知の創出」に専念してさえいれば、そこから先の「泥仕事」(「勉強好き」で「勉強ができて」高学歴の人たちは「組織の外に開かれた対人能力」を必要とする「カネに絡む」ような仕事をよくこう表現する)は誰か別の人がやってくれる(効率のよい分業みたいなものかな)、という仕事がかなり多く存在していたし、今も存在しているからだ。けっこういい仕事なのですよ、これが。見ていて羨ましくなるほどに。元「勉強好き少年」たちにとっての温床であり続けてきたが、ここがこれからは危ない。
「次の10年」の大変化が直撃するのはこの層であり、この層の予備軍だ。そして変化が直撃するともろいのもこの層だ。

と書いた「この層」と狭義には合致している。たぶん楠氏は社会全体を見渡してもう少し広い範囲のことをおっしゃっているのではないかと思うが、「一流大学から一流組織へ」と進む上でこれまで最も有効だった能力は「勉強能力」であったはずという意味で、「勉強」特権階級とでも呼ぶことにして、そう大きな間違いはなかろう。これから起こるのは、「勉強」特権階級の没落なのである。
もし僕が日本の大組織の再建を任されたとしたら、まずすることは「この層」の中で飛び切りすぐれた人材(プロスポーツ選手クラス)をほんのわずか残し「この層」の大半を組織から一掃することを「組織のゴール」と設定し、そのためにはどういう順番で何をやっていくべきかを考えていくだろう。むろんこれは夢想に過ぎないのだが、残念ながら一掃しなくちゃいけない「この層」に、同世代の知人・友人の顔がたくさん浮かんでくる昨今なのである。