「君は PC-98 VS DOS/V 戦争を見たか?」を読んで

Ian Murdockの「Open source and the commoditization of software」
http://ianmurdock.com/?page_id=222
を読んで書かれた「圏外からのひとこと」の「君は PC-98 VS DOS/V 戦争を見たか?」
http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20050606#p02
を読んで懐かしくなった。

日本でこれが書かれたら、PC-98シリーズのことに触れないわけにはいかなかったでしょう。(略)
当時は、「PC-98がなくなる」と言っても、誰も信じてくれませんでした。私にとって、その経験は貴重な財産なのだと思います。その時のPC-98シリーズの磐石さ加減は、経験してない人に説明しても絶対に理解できないでしょう。絶対にひっくりかえらないだろうと、誰もが思っていたものが、一瞬でひっくりかえってしまったのです。

本当にそうでしたね。
僕の12年前のデビュー作「ハイテク日本・危機の構図」(中央公論)
http://www.mochioumeda.com/archive/chuko/930501.html
でも、「PC-98 VS DOS/V 戦争」について、こんなことを書いています。

では日本企業が得意とする2つのタイプの事業環境がなぜ厳しくなっていくのかを簡単にまとめたい。まずローカル市場向け事業は、システム・インテグレーション、受託ソフトウェア開発、サービスといった顧客密着型事業のように本質的にローカル性の強い事業と、本来はグローバルな事業であるにもかかわらず「日本の特殊性」ゆえにローカル性の強い事業として成長してきた事業とに大別できる。事業環境が厳しくなるというのは、前者は健全な事業として存続しても、後者がグローバル製品との競合にさらされていくという意味である。
 後者の代表例として特に重要なのはパソコン事業である。日本のパソコン事業は新文化といえども、非常にローカル性の強い日本市場向け事業である。NECが50パーセント以上のシェアを持つのだが、その理由は「日本の特殊性」、つまり日本語処理能力が特殊なハードウェアによって実現され、しかもオープン化されていなかったからである。パソコン市場が立ち上がった頃の技術的にも未成熟だった段階においては、グローバル製品とは違う日本市場向けの特殊なパソコンが必要だったために、日本におけるパソコン事業はローカル性の強い事業として発展してきたのである。しかし、現在ではパソコンの基本性能が大幅にアップしたため、グローバル製品上でも十分日本語が扱えるようになり、そのための日本語オペレーティング・システム(DOS/V)が最近オープン化された。グローバル製品の場合、対象とする市場の大きさが日本市場に比べて圧倒的に大きく、規模の経済性が発揮され、低価格が実現される。最近、米コンパック社や米デル社製の日本語が扱えるパソコンが超低価格で販売され話題を呼んでいるのはこうした背景からで、明らかに「パソコン市場のグローバル化」現象が起きているのである。
 では2つ目のグローバル製造・生産事業の現状はどうだろうか。・・・・

「圏外のひとこと」のessaさんの場合と同様、「誰も信じてくれませんでした」。当時についての「PC-98シリーズの磐石さ加減」という表現も実に正確です。そしてその経験は、僕にとっても「貴重な財産」になっています。