阿川尚之「憲法で読むアメリカ史」: 教えることと書くことと学ぶこと
ロースクールを卒業して以来、アメリカ憲法の勉強はほとんどすべて独学で、いつかもう一度きちんと学んでみたいと思っていた。(略) のんびりしたアメリカでの大学での生活が気に入って、帰国してからもアメリカ憲法を勉強し続け、また教えてみたいと思った。(略)
学校の教員になってわかったのは、教えることによって何よりも学ぶという単純な事実である。幸い慶応でも同志社でも、学生は熱心に私の講義やゼミを履修してくれ、その期待に応えるために私も懸命に判例を読む。それを日課として三年という月日が経った。「外交フォーラム」の伊藤実佐子編集長にわがままをいって、アメリカ憲法史についての連載をさせてもらったのも、こうして教え学んだアメリカ憲法の歴史を少しずつ文章でまとめたいと思ったからである。
教えるのと同様、憲法史について毎月文章を書くのは学ぶところの多い作業であった。毎月締切が来るまでに、何を書くか頭のなかでまとめねばならない。わかっているつもりでも、いざ文章にしようとすると記憶が不確かで、一々調べねばならない。その作業は楽ではなかったが、連載の義務がなければ決してやらなかった。(略)
もとよりアメリカ憲法の歴史を通して書くというのは、私の能力をはるかに超えた一大事業である。学者が一生かかって取り組む課題でもある。そうした大きな課題にあえて取り組んだのは、アメリカ憲法の知識がない一般の日本人が読める合衆国憲法史に関する手軽な本が、ほかに見当たらないからである。(略) しかし不完全ではあっても、上下巻を通して読むことによって、読者がアメリカの歴史とその憲法について関心をもち、理解の端緒としてほしい。アメリカの悪口をいうのが世界中で一種の流行になっている今こそ、この国が憲法とともに歩んできた、決して平坦ではなかった道のりを、あらためてふりかえってほしい。(下巻P334-335「あとがき」より)