齋藤孝「座右の諭吉」

座右の諭吉 才能より決断 (光文社新書)

この他にも福沢がやり始めたことは多い。それについての自負がないわけではないが、彼は自分がオリジナルだと主張するような独自性にはほとんど無関心だった。(略) そこはゲーテと近いところがある。ゲーテは独創性やオリジナリティにこだわることに否定的だった。(略)
要するに、生まれ持った才能や気質、あるいはこの当時であれば身分といったものを自分の本質、自分らしさと捉えている人間がほとんどだろう。しかし福沢はそれらにアイデンティティを持たず、学び続けていることを自らのよりどころにしていた。(略)
福沢は、自分自身の才能に対する自負をそれほど持っていなかった。彼は極めて冷静な人間なので、中津藩時代や緒方塾ですぐに塾頭に立つような頭角を現しても、自分の頭が並外れていいとは考えない。自負があるとすれば、学ぶスピード、学んでから実践するまでの回転速度のほうだ。自分に対しては、個性を持った一個人というより、一つの運動体のような感覚だったに違いない。(p50)

福沢は読書を中核にして生きた。(略)
しかし福沢は、読書を中心に置いたからこそ見識があって、世の中のために多くのことを成し遂げることができた。その力があったから人から期待されることも多く、他に類を見ないほどの広い人間関係を築くことができた。読書を柱として人生を打ち立てると、これほど豊かに生きられることを見せてくれた人物である。(略)
福沢の慶応義塾に優秀な人材がたくさん集まってきたのは、要するに福沢の勉学の力によるものだ。単純に言えば福沢の読書量が人を引きつけている。(p82)

私は世に出るまで長い修業時代を送った。そのときに「福翁自伝」を手に取って以来、何かの折りに開いている。私の勝手な思い込みではあろうが、自分と福沢には非常に似通った部分がある気がして、とても他人とは思えない。事を処すに当たっての福沢独自の原則に、私は非常に共感できる。(p5)

もし私が福沢について説明するなら、「彼はプロフェッショナルの啓蒙家だった」と言わせてもらう。(略) しかし、もっとも讃えられるべきは、人々が精神までを近代化しなければいけなかった時代に、旧態依然とした思想を突き壊し、真に蒙を啓くために活動したことだ。(略)
だが、私に言わせれば、啓蒙には本物と偽物、うまい下手があるだけだ。いい啓蒙を受ければ、本物のすごさを短時間で消化させることができる。あるいはその原典に向かいたくなる。(略)
福沢は最大級の啓蒙家として、現在も人々に大きな影響を与えうる人物だ。(p210-211)