中野孝次の人生

著者に会いたい「中野孝次」
「60歳になったら閑暇の生活に入れ」を15年前倒しにして、それからの30余年を淡々と過ごし、
「僕は今年七十八歳になった。(略) その長い一生を思い返してみて、本当にいま自分のものとして残っているのは、若い時から好きで、これに一生をかけようと思ったものだけであることに気づく。他のことは全部消滅した。(略) それらの中で一体何が残っているか。音楽の才能は僕に最も欠けているもので、これが一番先に消えた。芝居への関心も自分の心の要求からして行ったのではなかったから、これも消えた。映画館にはもう二十年くらい行っていない。絵は、これは視覚的人間の僕の要求でもあったからよく見るが、中でこの画家が好きというのはほんの数人しかいない。
結局のところ僕に残ったのは、小説や思想書を読んで考えることと、考えたことを書くこと。その一筋だった。ただしこれは本当に自分の好むものだから、今でも朝早く起きてそのとき熱中している本を読むことに充実とよろこびを感じるし、僕にとっての幸福はその読んだり書いたりすることの中にある。そのほか碁が好きだとか、犬が好きだとかあるが、これは副次的なものだ。」(「「閑」のある生き方」p118-119)
「この国にあっても老年は祝福すべき時だと思うのは、肉体の衰えや社会の空気やいやなことをおぎなって余りある恩寵が老年にはあるからだ。それは何かといえば、今や時間のすべてが自分のものであって、それをどう使おうが自分の自由だということだ。これこそ人が長い生涯を生きてきた最後に与えられる、最高の恩寵でなくて何であろう、と僕は言いたいのだ。」(「「閑」のある生き方」p126-127)