「モンテーニュ私記 よく生き、よく死ぬために」(保苅瑞穂著)

著者は「エセー」p784から「私はいっさいの努力を傾けて自分の生活を作って来たのです。それが私の仕事であり、作品なのです。私はほかのどんな仕事の作り手でもありませんが、それ以上に本の作り手ではないのです。」という部分などを引用して、こう書く。

あれだけの本を書きながら自分は本の作り手でないと言っているのは、むろん謙遜などではなくて、モンテーニュの本心である。生活を作ることが、かれが一番に目指したことであって、かれにとって本を書くことはその生活の一部をなすに過ぎなかった。この一節を読んだだけでもモンテーニュという人間が見えてくるような気がする。(「モンテーニュ私記」p6)

モンテーニュがどういう動機で本を書き始めたにせよ、またものを書くことがどんなに好きな人間だったにせよ、結局これを生涯書き続けることになったのは、生活を作るにはまず自分というものを知り尽くす必要があったからで、それには書いてみることが一番なのだ。ところが書いてみると、人間の正体は一日一日姿を変えて掴みようがなくて、そのためにかれは自分を追い続けて、死ぬまで書くはめになった。そういう人間に向かって本を書くことが生活の目標だったと言ったのでは、自分は本の作り手でなくて生活を作ることが仕事であり、作品であるとわざわざ断っている著者にとって本末が転倒するのである。(「モンテーニュ私記」p7)

また第VIII章では、「エセー」p409から「私の意図は残された余生を穏やかに過ごすことであって、あくせくと過ごすことではない。私が頭を絞ってでもやってみたいと思うようなことはなに一つない。学問にどれだけ大きな価値があっても、やはり同じことである。私が本に求めるのは、正しい娯楽によって快楽を得ようとすることだけである。私が勉強するのも、私自身の認識を扱っている学問、すなわち、よく死に、よく生きることを私に教えてくれる学問だけを求めて勉強するのである。」という部分などを引用して、こう書く。

モンテーニュにとって、学問はよく生きるという現実的な知恵に結ばれていた。この姿勢は、かれが哲学者のなかで師と仰いで、もっとも敬愛していたソクラテスの哲学の流れを汲むものである。(「モンテーニュ私記」p322)