読売新聞書評欄連載で選び評した12冊の本

読売新聞日曜日の書評欄にある「ビジネス5分道場」という欄の連載を1年間担当し、月に1冊、全部で12冊の本を選んで評した。ビジネス書ばかりを選んだわけではなかったので、すべてビジネスという視点から書かなければならないという制約が、ちょっとしたチャレンジだった。
読売新聞社の許可を得て、その書評をすべてまとめてここで公開します。
最終回から順にさかのぼる形で、並べてみることにします。一冊一冊かなり苦労して選んだし、書評はひとつひとつかなり時間をかけて書いたので、それぞれ短い文章ですが、どうぞゆっくり読んでみてください。


第12回 「事業経験を生の充実に活かせ」(読売新聞08年3月23日朝刊)

一年間にわたって本欄では、シリコンバレーやウェブといった私の専門に関わる本だけでなく、教養書をビジネスに役立てる視点から読み解く試みも続けてきた。

「知を愛し、せっかく生まれてきたからには個の力で何かを成し遂げたいと志は持ちつつも、飯を食うために、世の中と折り合いをつけるために、まずはビジネスの世界に身を投じた」という人たちを、心の中で想定読者に置いていたからである。かくいう私もそんな一人なのだ。だから若い頃は、前半生の事業成功で築いた資産を後半生の発掘調査費に注ぎ込みトロイア遺跡を発見したハインリッヒ・シュリーマンを、「前半生と後半生の役割分担」のロールモデル(お手本)に置いていたほどだった。

私が本欄を担当する最後である今回ご紹介するのは「マイクロソフトでは出会えなかった天職」(ランダムハウス講談社)である。著者ジョン・ウッドは、典型的な米国ビジネス・エリートとしての前半生を過した。ビジネススクールを出て、金融機関で経験を積み、時代の旬を生きるマイクロソフトに職を得て、寝食を忘れて働き、組織の階段をのぼって要職につき、ジョンは大きく稼いだ。

そんな彼が三週間の休暇を取ってネパールにやってくるところから本書は始まる。貧しいネパールの学校に本がないことを知り愕然とした彼は、友人や父親と協力しながらネパールに本を送り始める。その活動に伴う「生の充実」を知った彼は、仕事を辞め、上昇志向の強い恋人と別れ、「ルーム・トゥ・リード」(www.roomtoread.org)というNPOを設立する。同NPOはいまや、年間一千万ドル規模の寄付を集め、これまでにネパールやカンボジアなど七カ国で、学校を四四二、図書館を五一六〇も作った。ジョンはさらなる発展を目指し、世界中を飛び回っている。

特に本書第15章「NPOマイクロソフトをめざす」を読むと、前半生のビジネス世界での一流の経験こそが後半生の「生の充実」のために活かせる、という彼の経験から勇気を得られることだろう。

第11回 「対立概念に補助線を引け」(読売新聞08年2月24日朝刊)

「AかBか」と問われたときの大抵の正解は、脳科学の見地から言うと「AとBの両方」なのです。

茂木健一郎は講演などでよくこう語る。しかし、たとえ「両方」が正解だとしても、質問者はそんな答えでは満足しない。「A」か「B」を選べばそれ以上考えずにすみ楽になるが、「両方」となれば、さらに深い思考を継続しなければならないからだ。

新著「思考の補助線」(ちくま新書)で茂木は、対立する概念に身を挺して補助線を引くというアプローチによって、「AとBの両方」を追求し続ける。「科学と思想」「理系と文系」「厳密性と曖昧さ」「同化と個性化」「現実と仮想」「総合と専門」といった現代のさまざまな問題に、鮮やかな補助線を次々と引いていく。小林秀雄の名著「考えるヒント」を彷彿させる。

「芸術を愛する経験的自然科学者から、現象学的経験をも視野に含めた「自然哲学者」へと変貌した」

茂木は本書冒頭で自らの今をこう語る。彼のライフワークは「精神と物質」の間に補助線を引き「なぜ脳に心が宿るのか」を解明することだ。専門に閉じこもるのではなく、「この世の森羅万象の中に飛び込み、さまざまなことに接し、感じ、涙し、取り入れ、つかみ、整理し、開くプロセス」によって、茂木は「突き抜けた達成」を目指そうとしている。

本書は、多彩な関心とマルチな才能、旺盛な行動力を武器に「現代社会の補助線」たらんと疾走する著者の生きざまが結晶した、情熱的な好著である。
私たちを取り巻く現代ビジネス社会も、対立する概念に満ちている。「個と組織」「競争と協力」「社会貢献と営利重視」「長期雇用とコスト」「環境と経営」「創造性発揮と内部統制」「情報共有と情報漏洩」・・・。一つひとつの難題に対して私たちは、安易に「AかBか」を選択するのではなく「AとBの両方」を追求しなければならない。身を挺して「思考の補助線」を引く本書のような知的で真摯な営みが、ビジネスの世界でも求められる時代なのだ。

第10回 「対抗言説を生み出せ」(読売新聞08年1月27日朝刊)

二〇〇八年、世界中が見つめる最大のイベントがアメリカ大統領選である。民主、共和両党の大統領候補を決める予備選が年初から始まったが、予想以上の大混戦で幕が開けた。一年後のアメリカ大統領は誰なのか、本当にわからない。だからこそ大統領選の盛り上がりも尋常ではない。そんな今年は、日本人である私たち一人ひとりがアメリ現代社会を見つめ考えるいい機会である。新聞報道に加え、ネット上には無数の英文記事や映像が溢れている。英語を磨く教材としても最適だ。

そこで参考書としてまず読むことをお薦めしたいのが渡辺靖著「アメリカン・コミュニティ」(新潮社)である。

私のアメリカ生活も累計十四年を超えたが、アメリカの価値観の多様性、変化の激しさ、懐の深さと単純さの同居、新しさと古さのせめぎあいの苛烈さなどに未だに圧倒され、「アメリカとは」と問われれば言葉に詰まる。せいぜい自分が住むシリコンバレーを語るのみにとどめ、アメリカ全般について安易には語るまいと自戒し今日に至っている。そんな私にとって本書は、目から鱗が何枚も落ちるような新発見に満ちていた。

本書を読み解くキーワードは「カウンター・ディスコース」(対抗言説)である。アメリカ社会のいたるところで「アメリカとは○○である」という定義づけを拒む「対抗言説」が絶えず生まれ続けること、そしてそれが許される自由。アメリカの本質は、この二つが「運動律の核」となった「永遠に革命を続ける手強い社会」だと著者は考える。

荒れ果てた地域が住民の力で再生された「希望のストリート」から、メガチャーチが支配する郊外、ディズニーが創った町、町の中心に刑務所を置く「死の首都」まで、三年がかりでアメリカ中を旅し、著者はその考えを深める。
ビジネスの視点から言えば「対抗言説」の活力はイノベーションを産む源泉に違いない。日本のビジネス社会にも「対抗言説」が許される自由が増せば、新産業創造のダイナミズムがより大きく息づくことを本書は示唆している。

第9回 「絶対計算を活用せよ」(読売新聞07年12月16日朝刊)

「直感主義者たち、用心召されよ! 本書は目もくらむほど多様な「絶対計算」物語を詳述し、それを実現させている人々を紹介する。」

情報技術(IT)革命の進展によって、ウェブ上の情報は日に日に膨張を続け、私たちを取り巻くありとあらゆることはどんどんデータベース化されている。何十年にも渡って着実に向上し続けてきたコンピュータの計算能力に加えて、特にここ十年でデータ記憶容量が飛躍的に増大した。その結果、人間の感覚からいえばほぼ無限とも言うべき億単位、兆単位の大規模データ集合に対する計算が、本当にできるようになってしまったのだ。

イアン・エアーズ著「その数学が戦略を決める」(文藝春秋)では、そんな計算のことを「絶対計算」と呼ぶ。厖大な量のミクロな動きを「絶対計算」することで、一見無関係とも思える事柄の間に相関関係が発見され、思いもよらぬ世界の成り立ちの秘密が明らかになってしまう時代なのである。

フランス・ボルドー地方の気象データの「絶対計算」によって「収穫期に雨が少なくて、夏の平均気温が高かった年に最高のワインができる」ことを明らかにした「絶対計算者」。「口にふくんでは吐き出す」やり方で、自らの舌に頼ってワインを鑑定するカリスマ著述家。両者の対立関係をめぐるエピソードから本書は始まる。

二十一世紀は、企業戦略はもちろんのこと、政策決定や医療や教育にも「絶対計算」が徹底活用される時代になる。あらゆる分野において、経験と直感に基づく「専門家」(直感主義者)が「絶対計算者」と対立する未来社会の姿を、本書は鮮やかに描く。

大量POSデータの解析を商品戦略に結びつけたコンビニの成功に見られるように、もともと日本はこの「絶対計算」という新分野の技術や発想に長けていた。にもかかわらず「絶対計算を意思決定に活かす」という世界の大潮流から、日本は大きく取り残されようとしている。いったいそれはなぜなのか。巻末に付された山形浩生の訳者解説にその答えがある。

第8回 「分散した断片を進化の糧に」(読売新聞07年11月18日朝刊)

「ヒトデはクモよりなぜ強い」(日経BP社)は、記憶のメカニズムを研究する科学者たちの話から始まる。「脳が一生分の記憶を保存し、管理するには、命令系統が必要なはず」という科学者たちの初期仮説は崩れ、脳にはそんな中央集権型の命令系統などなく、きわめて分散した構造を持つことが明らかになった。そして「脳が丈夫なのはこの構造のおかげ」だった。

脳の構造とネットの構造が酷似していることは多くの科学者が指摘するところだ。いま私たち一人ひとりの脳の外部に、世界中の人々と情報が連結した「もうひとつの巨大な脳」とも言うべきネットの世界が生まれつつある。だとすればネット時代の組織は、脳のような分散した構造を取るのだろうか。そしてその分散構造組織は、これまでの中央集権型組織より強靭なものになるのだろうか。

中央を持ち上意下達のトップダウン構造をした組織を「クモ型」(急所を潰されると弱い)、権限が分散されて各部が独立に動く組織を「ヒトデ型」(バラバラに切断されても再生する)と本書は呼ぶ。そして組織に「管轄する人間がいなかったらどうなるのか」「ヒエラルキーが存在しなかったら何が起きるのか」という野心的なテーマに挑戦している。

オープンソースウィキペディアなど、現実にネット上に生まれた不思議な「ヒトデ型」の実例から、読者は新しい胎動を感じることができる。しかし「ヒトデ型」の発展段階はまだ、長い歴史を持つ「クモ型」の何世紀か前の段階と同じではないか。いくらネット時代の進化が速くても「ヒトデ型」が経験を蓄積するにはかなりの時間が必要だ。この壮大なテーマに対する決定版たる本が書かれるのは、少なく見積もっても今から二十年は先のことだろう。

よって読者は、本書が提示するさまざまな仮説を結論として鵜呑みにするのではなく、本書の断片を刺激的な参考素材として消費し、日々のビジネスにおける試行錯誤の糧とすべきだろう。それが本書の正しい読み方だと思う。

第7回 「ゼロからモデルを作れ」(読売新聞07年10月21日朝刊)

東大総長が書いた「日本の新国家像」だと聞けば、何とか諮問会議の無味乾燥な報告書が本にでもなったのかと、手に取らない人が多かったかもしれない。

しかし小宮山宏著「「課題先進国」日本」(中央公論新社)は、そういう誤解から遥かに遠いところにある。小宮山というポジティブで明るくて若者好きの大人が、個の責任で、その本音をストレートに出している本なのだ。

「私はこうした本を出版したいとかねがね考えていた。しかし、総長に就任したこともあって、しばらくは無理だとあきらめていた」

小宮山は「あとがき」でこう書く。「こうした本」は「無理」と「あきらめていた」のは、総長としての激務の忙しさゆえではなく、責任重い公職に就く者が本音を語ることへの逡巡だったのではないか。小宮山がそれでもこの本を出したのは、日本の現状への強い危機感の表れだろう。

本書を読み、理系のオプティミスト・小宮山の発想がじつにシリコンバレー的であることに改めて気付いた。

日本が「課題先進国」であるとは、少子高齢化、恒常的資源不足、教育問題、都市の過密と地方の過疎、ヒートアイランド現象など、日本にはどの国も解決したことのない課題が山積しているという意味だ。しかしその課題を理系的センスで合理的に世界に先駆けて解決すれば「課題解決先進国」になれる。それが小宮山のイメージする「日本の新国家像」だ。日本人にチャレンジ精神が欠けているのではない。今まではそれが「社会制度を変えなくてもすむもの」に向けて発揮されてきたが、これからは「ゼロから自分でモデルを作る」必要がある。そう小宮山は説く。

しかし日本が本当にそんな国になるには、たとえば動画共有サイト「ユーチューブ」について「あれは著作権を侵害しているのではないかと思うが、そういうものを面白いと思って認めていくことが重要ではないか」と自由に語る小宮山のような大人が、日本社会の要所要所を固めていく必要があるのだ。

第6回 「暮らしに思考を近づけよ」(読売新聞07年9月16日朝刊)

経営コンサルタントという仕事柄、若手・中堅社員が集まって未来を構想するプロジェクトにアドバイザーとして参画することがある。メンバーに理系出身者が多いときは特に、ビジネスや技術に関わる専門知ではなく、人が生きる上での総合知が詰まった本を最初に何冊か読むよう薦めている。十年後の社会や会社のあり方、働き方などを考える上で、はじめに人間への関心を強く喚起しておくと、議論の幅が広がるとともに質も高まるからだ。

長谷川宏著「高校生のための哲学入門」(ちくま新書)は、真っ先にその推薦書リストに載せたい本である。

「幻の高校生読者を設定し、それに向けて書くようにしたが、論が進むにつれて幻の読者の影は薄くなり、だれに読んでもらってもいい、といった境地で書くようになった。」

著者は「はじめに」でこう書く。書名には「高校生のための」とあるが、哲学の背景知識を持たない誰が読んでも、人間について考えるきっかけが得られる名著だ。平易な文体で読者を深い思考にいざなう。しかもこの本を読んでいるとなぜか、著者の問題提起をふと自分のビジネスの日常的関心にあてはめて考えているのに気付くことが何度となくあった。第三章「社会の目」を読み、個と組織の関係のデザインや、イノベーションを生む風土について考えるといったふうに。

ヘーゲルの翻訳などで名高い著者は、三十七年前に大学を去り所沢市の住宅街で塾を開いて以来、午前から午後にかけては哲学者として「抽象的で観念的な思考」を、夕方からは塾講師兼経営者として「日常的で具体的な営業と人づきあい」をという二重生活を続けながら、「抽象的・観念的な知と思考を日常の暮らしに近づける」を基本的課題に考え続けてきた人である。最終章で著者の人生の経緯を知り、そういう真摯な思考が凝縮した本だからこそ、読者に身近な問題を深く考えさせる力を持っているのだと、私は得心したのだった。

第5回 「「知の構造化」をはかれ」(読売新聞07年8月19日朝刊)

ある分野の素人に、専門的で難しいことをいかにして伝えるか。そしてどうすればその対象に興味を抱かせることができるか。科学技術、経済、地政学から経営にいたるまで、知が細分化され複雑化するばかりの現代は、ビジネスのあらゆる局面でこういう能力が求められる時代である。

「生命とは何か」に関する啓蒙書で、今年の新書のベストセラー「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著 講談社現代新書)は、そんな能力を身につけたいと思うビジネスマンにとっての参考書としても最適な本である。

本書を読み驚くのは、著者が分子生物学という自らの専門領域に関して「何も知らない人がどうわからないのか」を熟知し、難解なところに差し掛かった読者が躓きそうになる直前のあらゆる場面で、躓かないですむ工夫がほどこされていることである。本書の帯の紹介文に「読み始めたら止まらない」とあるが、それが誇大広告となっていないのは、この気配りが極められているからだ。

何かを説明しようとするときに、一般の人がまず頭に思い描く関心や疑問を想像しながら、著者は必ず先回りしていく。たとえば本書の冒頭は、千円冊の肖像画となった野口英世の業績が現代からみればどうしても低く評価せざるを得ない理由を語りながら、野口の時代には存在しなかった分子生物学とは何なのかをひもときはじめる。

ある概念が成立するまでの歴史的経緯の平易でわくわくするような解説や、ある知と著者自身の思い出との関わり、サイエンスにおける熾烈な研究競争をめぐる興味深い話題などを巧妙に織り交ぜ、難しい概念には絶妙な比喩を用意する。そんな著者の啓蒙の技芸は見事の一語に尽きる。

あなたの専門領域の何かについて「何も知らない人がどうわからないのか」に思いを馳せ、本書をお手本に「知の構造化」をおこなってみること。それを「夏休みの自主研究」として取り組んでみたらいかがだろうか。

第4回 「不特定多数の力、活用法を探れ」(読売新聞07年7月15日朝刊)

オープンソースは、ネットがもたらした最も重要な現象である。ソフトウェアのソースコード(人が記述したプログラム)をネット上に公開すると、その周囲に不特定多数の開発者が世界中から自発的に集まり、そのソフトウェアがどんどん改良開発されていくことがある。マイクロソフトを脅かす基本ソフト・リナックスはこうして作られたわけだが、このオープンソース開発方式には「人に何かをさせる」ための強制の道具がまったく存在しない。組織の上意下達はない。雇用もない。金銭の取引もない。市場メカニズムもない。にもかかわらず次々と価値あるソフトウェアを生みだす不思議な「打ち出の小槌」なのだ。

同じ考え方で、ネット上の誰もが自由に編集に参加できる百科事典の枠組みを用意したら、それがわずか数年で「エンサイクロペディア・ブリタニカ」の存在感を大きく超えるものへと成長した。「ウィキペディア」である。

ネット上の不特定多数による「マス・コラボレーション」とも言うべき開発・生産方式には、どれほどの普遍性があるのか。どんなときに限ってこの「打ち出の小槌」は有効に働くのか。ここに現代組織論のフロンティアが大きく口を開けている。

ウィキノミクス」(日経BP社)は、その問題に正面から取り組む好著である。本書が挑む難問は、企業という枠組みを必要としない「マス・コラボレーション」の力を、企業はどう活かすべきかである。しかし惜しむらくは、企業がスポンサーとなった調査研究ゆえ「企業はこの現象を積極的に活かすべき」という提言が結論として「先にありき」でこの本が作られていることだ。

「開発・生産を担う不特定多数と、その成果から利益を上げようする営利目的の企業が、果たして本当に永続的な信頼を醸成できるのか」「できるとすればどんな特殊条件下においてなのか」というより本質的な問いは、読者一人ひとりが考えるべきテーマとして残されている。

第3回 「常識という名の常識を疑え」(読売新聞07年6月17日朝刊)

米国にはイノベーションの舞台裏を詳細な取材に基づき描いた作品が多い。前回ご紹介した「iPodは何を変えたのか」(ソフトバンククリエイティブ)」、グーグルを描いた「ザ・サーチ」(日経BP社)、「Google誕生」(イースト・プレス)が最近の好著だ。私はこのジャンルを「シリコンバレー・ノンフィクション」と呼んでいるのだが、その最高峰はベストセラー作家マイケル・ルイスの「ニュー・ニュー・シング」(日本経済新聞社)である。

「何はともあれ、常識も秩序もかなぐり捨てて物事に没頭するというのがどういうことなのかを感じ取っていただきたい」著者は序でこう書くが、本書を読みすすめるうちに読者は「常識を捨てる」という感覚の「常識」すらすっかり破壊されることだろう。

九〇年代末にマイケル・ルイスは、一人の人物を通して「シリコンバレーの秘密」を描くという野心を胸に、何百人もの起業家に会った。その中で強い「不快感」を発していた人物ジム・クラーク(シリコングラフィックスネットスケープ創業者)に一年間の密着取材をする決心をした。

飛行経験のないクラークが操縦するヘリコプターに同乗し、未完成の「クラーク設計によるコンピュータ制御の巨大ヨット」に乗り込んで荒れ狂う北海の波の中へと突入していく。私生活でもこんな無謀な挑戦を繰り返すクラークの横でルイスは何度も死にそうな目に合いながら、クラークの日常にひそむ狂気や、クラークに振り回される人々の姿を冷徹な目で観察し、「先の先をいくもの」(ニュー・ニュー・シング)の創造について考え続けるのである。

一流の作家がそんな濃密な時間を過ごしたゆえ、シリコンバレーの真実が正確な言葉となって紡ぎ出されたのがこの作品である。しかし残念なことに日本では、本書の発売が二〇〇〇年のネットバブル崩壊と重なったため、多くの読者を得ぬまま事実上絶版となって今日に至る。同書の文庫化を心から望みたい。

第2回 「テクノロジーで自信回復」(読売新聞07年5月20日朝刊)

「それまでの私は、自分の著作を通して現代史を書き残し、未来の人類---私たちアナログに縛られた人類の、想像を超えてデジタル化された後裔たち---に、その大変化をもたらした人々のことを伝えられるかもしれないことに誇りを感じていた。だがあのテロ以後、私は疑念にさいなまれるようになった」

iPodは何を変えたのか」(ソフトバンククリエイティブ)冒頭で、著者スティーヴン・レヴィはこう書く。

アメリカ人にとって二十一世紀の幕開けはまさに二〇〇一年九月一一日の同時多発テロだったのだが、とりわけ未来志向の書き手にあのテロはこたえた。自らの存在意義を揺さぶられる種類の衝撃だった。私もまったく同じ経験をしたからよくわかる。生傷にさわるような気持ちがして、自分がそれまでに書いた文章を読めなくなり、これから何を書けばいいのかまったくわからなくなった。

「沈鬱な自問自答をさえぎるようにしてiPodが登場し、その後の私は---世界情勢にはこれといって好転の兆しがあったわけではないものの---テクノロジーこそが私たちの時代を代表する紋章なのだという自信を取り戻した」

私の場合、対象はアップルよりもグーグルだったのだが、レヴィのこの述懐の性質に深く共感する。「世界中の情報を整理し尽くす」という壮大なビジョンを巨大な高収益事業に結びつけて急成長するグーグルの圧倒的達成に、私も強く勇気付けられ、シリコンバレーやインターネットについて再び書く決心がついたからだ。

私たちばかりでなくアメリカでテクノロジー・ビジネスに関わる多くの人々が、それぞれの「テロ後の自己回復」をアップルやグーグルとの関係で語る場面に、私は何度となく遭遇してきた。いまシリコンバレーで最も輝くアップルとグーグルは、イノベーションと事業創造を通して人々を勇気付けるという稀有な力を持つ存在なのである。

第1回 「開放性こそ愛国心の源」(読売新聞07年4月15日朝刊)

「もしこの地球上にアメリカという人工国家がなければ、私たち他の一角にすむ者も息ぐるしいのではないでしょうか。」

司馬遼太郎は、昭和六十年の本紙一面連載「アメリカ素描」(新潮文庫)冒頭で、老境に入った在日韓国人のこんな言葉を引き、「決してそこに移住はせぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感が人類の心のどこかにあるのではないか」と書いた。

「あなたの国の疲れた者、貧しき者を、私のもとに寄こすがいい」で始まる「自由の女神」台座に刻まれたエマ・ラザルスの詩。ここに象徴される「開放性と寛容」は、理想としてアメリカ人の心根にどっしりと根付いている。二〇〇一年の同時多発テロ以来、その内向化や閉鎖性が指摘されるアメリカだが、「他の一角にすむ者」は、こうした「アメリカの理想」をきちんと理解した上で、その「理想との乖離の程度」という視点から現実を把握する必要がある。ちなみに私は、シリコンバレーに「移住」し十三年目を迎えたが、アメリカという国の他国とは全く違う開放性を、相変わらず日々感じながら暮らしている。

インテルを世界の半導体企業に育てた経営者アンディ・グローブの半生の記「僕の起業は亡命から始まった!」(日経BP社)を読むと「アメリカの理想」がどんなものかが心から理解できる。グローブは一九五六年、二十歳のときにハンガリー動乱に関わり祖国を脱出して難民輸送船でアメリカにやってくる。アメリカに下り立つと、医療費から大学奨学金、教科書代、生活費の一部まで難民支援団体が支払ってくれる。グローブはそのことに感謝しつつアメリカでの自立に向け猛勉強する。

「自助の精神」でたくましく成長しアメリカビジネス社会で活躍するグローブのような移民たちの多くが、機会を与えてくれたアメリカへの強い愛国心を抱くようになる。その理由を実感するうえで、本書は必読の書と思う。

マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった 思考の補助線 (ちくま新書) アメリカン・コミュニティ―国家と個人が交差する場所
その数学が戦略を決める ヒトデはクモよりなぜ強い 「課題先進国」日本―キャッチアップからフロントランナーへ
高校生のための哲学入門 (ちくま新書) 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) ウィキノミクス
ニュー・ニュー・シング iPodは何を変えたのか? アメリカ素描 (新潮文庫)