今年いちばん哀しかった瞬間、そしていちばん嬉しかったこと

11月20日(火)、その夕方の便で帰国するという日本出張の最後の日。午前中の最後の予定(早稲田大学法科大学院での特別講義)を終えて、ホテルに戻ってメールを開くと、こんな言葉が妻から。

もう仕事はだいたい終わったのかな?
ジャックは残念ながら、がんでした。
戻ってきてから言ったほうがいいのかな?とも思ったのですが、空港に着いて第一声がそれでも疲れているところに良くないかもしれないし、と思ってメールしました。

僕の東京での仕事が全部終わったタイミングを見計らって送られたメールだとわかったので、すぐに妻に電話をした。
その数日前に、ジャックの前足の爪から出血があったため病院に連れて行き、万が一のこともあるので検査しましょう、ということになった、という話までは聞いていた。その検査結果が、黒い大型犬の老犬に多い「爪床部の扁平上皮癌」だったというのだ。感謝祭明けの金曜日(23日)にドクターのところに行き、今後のことについて相談するとのことだった。
ジャックも11歳9ヶ月。人間年齢で言えば七十代に入っているので、何があっても不思議はないのだが、やはり「がん」と聞くと「死」や「別れ」を想起してしまう。今年いちばん哀しかった瞬間だった。
それから飛行機の中でも、ずっとジャックのことを考えていた。
僕たち夫婦は結婚して18年になるが、そのほぼ3分の2の時間はジャックと一緒だった。アメリカ生活14年でいえば、その大半(11年9ヶ月)がジャックと一緒だったのだ。思い出の多くに必ずジャックがいる。犬を飼うのは二人とも初めてだったけれど、一生懸命ジャックを育てたし、深く愛した。
空港に着く少し前、僕は確信した。もしこれで助からないということがあっても、ジャックはとても幸せな犬だったと思うよ、と。そのことなら、本当に自信があるぞ、と。それで気持ちの整理がついた。これから前向きに明るく、ジャックが助かるためにベストを尽くそうと。
空港に迎えに来た妻と話し、金曜日までは何もすることがないということを確認した。
とにかく忙しかった今年の最後の締めくくりにと、休暇をとって仕事から離れ、11月28日から一週間ヨーロッパに行く予定だったのだけれど、それはキャンセルだな、こんな気持ちではいけないよね、ジャックのそばに居よう、ということにした。
がんが全身に転移していれば、もう仕方ないね。そのときは、苦しいことはできるだけ避けよう。でもまだ転移がわからないということであれば「切断手術」を受けようね。でも切断って、どこまで切ればいいのかな。指だけですむといいね。手を全部とか、腕までだと本当にかわいそうだよな。でも若くて元気だった頃よりもいまは横になって静かにしている時間が長くなったから、三本足になっても、若いときになるよりは・・・・。そんな話ばかりしていた。
そして11月23日の金曜日の朝、ジャックを連れて、ドクターのところへ向かった。
ジャックはとにかく、子供のときから、前へ前へ行きたがる犬だった。車に乗せようとして、嫌がったことが一度もない。その日も、楽しいことが待っていると思うのか、とにかく車に乗りたがった。
ドクターは、開口一番、切断手術をしようと提案した。転移していない可能性が高いからと。僕たちは即座にイエスと言い、すぐに今日やってくださいと頼んだ。そしておそるおそる「ところで、どこまで切るんですか」と聞いた。ドクターが「指だけを切断する。それで検査して転移がみつからなければ、一本指がなくなるだけのことで、一週間もすれば、びっこも引かずに歩けるようになる。でも、がんはがんだから、転移や再発については祈るしかないね」と。指だけですめば最高だなと妻と顔を見合わせた。「わかりました。お願いします」
ジャックはそのまま入院。僕たちはジャックをドクターに任せて帰宅した。
・・・・・
それから一ヶ月。なんだか、長い一ヶ月だったなあと思う。
小指を一本なくしたけれど、転移もなくとりあえず快癒し、切断の傷跡もふさがって普通に歩き、すっかり元気になったジャックと、一ヶ月前を思うと夢のようだねと妻と話しながら、昨日は家族だけでささやかなクリスマス・パーティをした。これが今年いちばん嬉しかったことだった。
ジャックに変化があるとすれば、この一ヶ月なにかと甘やかしすぎたために、以前よりもすっかり「甘ったれ」になってしまったことだ。何か欲しいものがあったりしたいことがあると「ひゃん」と泣く犬になってしまった。妻は「もうこれからは以前のように厳しくする」と言っているが、果たしてどうなることだろう。