取り返しはつかない

深く深く共感する文章と出合った。
新潮9月号に掲載された養老孟司「追悼河合隼雄 取り返しはつかない」である。

河合隼雄さんの訃報を聞いた。病床におられることはわかっていたし、多くの方と何度か河合さんの病気の話はしたから、いまさら驚くことではない。ただなんとなく腹立たしい思いがないではない。なぜ文化庁長官なんか、長いことやらせたのか。
高松塚古墳の絵にカビが生えたという問題があって、河合長官が頭を下げてまわったという話を、風の便りに聞いたような気がする。そんなことがなくても、そもそも他人のストレスを解消するのがお仕事だった。

もったいないなあ。この世間は本当にもったいない人の使い方をする。

河合さんのように滅多にない才能をバカな仕事に使いやがって。ついそんな気がしてしまう。

この世間で好きな仕事をしようと思ったら、必要なことはするしかないが、義理は欠くしかないということである。司馬遼太郎は「坂の上の雲」を書いている間、おそらく十年間ほど、大阪の街を顔を上げて歩けなかったと書いていた。一切の義理をその間、無視したからである。河合さんには、もっとそういう仕事をしてもらいたかった。でもあのお人柄ではなあ。そうも思う。

本当に全文を書き写したいほど、この追悼文には共感した。
13年前、僕が日本を離れてシリコンバレーに移住した理由の一つに「日本に住んでいると、義理を果たすためだけに、自分の大切な時間が無制限に失われていく」と強い危機感を抱いたから、というのがあった。さまざまなしがらみの中で増えていく「義理の連鎖」に莫大な時間を割きながら、自分がやりたいことを実現するための「体力」が、僕には決定的に不足していると思ったのだ。まだ世の中に出たばかりで、知己も少ないにもかかわらずこれだ、これからだんだん歳をとっていったらいったいどうなるんだろう、と思った。日本でやっていくための「体力」に、僕は自信が持てなかった。「体力」というのは比喩では全くなく、病気にならずに長くやっていけるかどうかということ、そこに本当に自信が持てなかったのだ(三十代前半だったけど、じっさいよく「めまい」を起こして寝込んだりしていた)。
養老先生はこう宣言されている。

河合さんの訃報を聞いて、私はもっとワガママをしようと思った。

本当に、そうなさってください。