フューチャリスト宣言や茂木さんのことやはてなのことなどを酔っ払いながら書いてみる

なんとなく気が向いたので、酔っ払いながら、思ったことを思ったままに書いてみる。
今日は久しぶりに、茂木健一郎さんのブログから、講演等の音声の最近の分をまとめていろいろダウンロードして、聞くとはなしに聞こえてきた話に耳を傾けていた。
フューチャリスト宣言」の感想で、いやに僕と茂木さんがシンクロしていて云々というのが多いんだが、僕自身も彼と対談するまでは、対談がこんなふうにシンクロするとはまったく思っていなかったのだ。だって、彼は僕とは正反対の人間だと思っていたし、今も思っているからだ。むしろ意見が大きく対立したように見えた「ウェブ人間論」の対談相手・平野啓一郎さんのほうが、人間としては同じ部類に入るのではないかという気がしている。
茂木さんが芸大でやっている授業で、自分が隠したいと思う秘密を頭に浮かべて、その秘密をその中に隠す文章を書きましょう(意味が通じているかな)、という実験をやっている音声を聞いたら、茂木さんが最初に「自分が書いた文章」を披露しながら、「自分は可能無限の世界を愛していて、人間の有限性というのを受け入れることが未だにできずにいる。だから物事を決められないのが自分の欠点なんだ。弱さなんだ。そういう秘密を頭に浮かべながら、この文章書きました」みたいな話をしていた。
これを聞いて、やっぱり彼は僕とは正反対の人間だと改めて思った。
彼は自分の目の前に展開する可能性をすべて探求したいのである。それができるのではないかと四十過ぎても思っているのである。
友人の寿司屋の大将がこのブログの読者なのだが、彼が僕にあるときこう言った。
「梅田さんってさあ、何かこう、決めるのが好きだよね。なんだかすぐ何かを決めようとするよねえ」
どきっとしたが、寿司屋の大将の観察は本質をついている。僕は茂木さんと違って、自分の才能をぜんぜん認めていないし、万能感などはとうに高校生くらいのときの挫折ですべて失われていて、そのあとは「戦略性」を拠り所に何とかゴチャゴチャやりながら、今日に至っている。「戦略性」とは、決めることである。間違っていようがなんだろうが、とにかく決めるのだ。決めて勝負どころを絞らなければ勝てないとわかっているから決めるのだ。仕事もほとんどは断り、自分にできるもの、やるべきだと思うことだけを選んで、大切に丹念にやる。そうしないとうまくできないと知っているからだ。「やめると決めた」ものについては断り続けるわけで、それは大きな機会損失だし「可能無限」なんて考え方から程遠いが、それは仕方ないと心から割り切って、後悔など絶対にしない。
音声を聞いたら、茂木さんはタクシーの中で雑誌の締め切り間際の原稿を書き、講演会場到着一分前にその原稿を送ったよ、としゃべっていた。僕には絶対にできない芸当である。一言でいえば、彼には本当に自信があるのだ。何でもできるという自信が。僕にはそれがない。だから戦略を練る。羨ましいなともべつに思わない。人は与えられた条件でつべこべ言わずにやっていくしかないから。
僕は、たとえばこのブログで若い人に向けて「こうしたらどう?」みたいなことを色々とよく書くけれど、それは自分が「戦略性」という「後天的なもの一本」でこれまで勝負し続けてきたという自負があるからなんだよね。だから僕にはそういうことを書いてもいいんじゃないか、書く資格があるんじゃないか、と勝手に思っている。まあ批判したい人は批判すればいいけれど。
何だか、話が飛ぶ。
ちょっとここ何回かのエントリーで誤解を招いたかなと思ったことを書いておく。はてなの取締役会云々と前後して、僕の考えを書いたので、はてなの取締役としての発言と勘違いした読者がいたようで、申し訳なかったと思う。「はてな」というカテゴリーにしていない文章はすべて、あくまでも僕個人の見解で、はてな取締役としての考えではありません。ここについては、はてなの皆に迷惑がかかってはいけないのではっきりとそう言っておきます。
はてなの経営への僕の関与についても手厳しい意見があったけれど、本当に正直に言って、僕自身も、この仕事については、本当に暗中模索・試行錯誤の真っ只中。日本にほとんどのメンバーを残して、創業者が大きな夢を持って一人でシリコンバレーに来てしまった。誰もやったことのないことだ、さてどうしよう、といったところ。近藤は必死になって新しいものを生み出そうとしているが、僕には「こんなに長い間、人が簡単には理解できないことを固く信じて没頭して継続する」近藤を「偉いなあ、自分にもとてもできないなぁ」と思うばかりで、何か生産的な関与ができているわけではない。近藤をはじめとする若い彼ら彼女らが「やりたい」と思うことの道筋をつけることができればなという程度だ。
僕が関与しなかったほうが、はてなにとってよかったのかな、ということは、言われなくてもいつも自問しているよ。だからできるだけ聞くことに徹して、僕の意見で何か物事が決まらないようにと自制している。まあ近藤は何を言っても、言うこときかないんだけど。シリコンバレーに住んでいるとは言っても、別に自分でベンチャーをゼロから巨大事業に育てたことなどないから、そういうフェーズにもしはてなが入れば、僕ではない誰かにバトンタッチするよ、と近藤には以前からそう言ってあるので、ご心配なきよう。
話はもとに戻る。
茂木さんのことだ。
彼は音声の中でこう言っていた。
「命を輝かせるためなら、何をやってもいいんだ」
そうか、僕が茂木さんと対談でシンクロしたのはこの一点ゆえだったのかもしれないなと思った。個としての資質とか傾向は、僕と彼は正反対なのだが、僕も
「意欲の核を持てるためなら(結局それは命を輝かせることになる)、何をやってもいいんだ」と思っているのだ。
そのためならオプティミズムだろうが、サバイバルだろうが、未来の創造だろうが、危機意識だろうが、何でも持ってきて、それで「意欲の核」が生まれずに苦しんでいる人の心が一つでも開けば、もうそれでいいや、と思っているっていうことかな。
以上。