「1976年のアントニオ猪木」(柳澤健著)

本当に面白くて一気に読んだ。著者は1960年生まれ。僕と同年の生まれ。「1976年の猪木」に、高校生のとき、著者もきっと僕と同じように熱狂していたのだろう。
僕はプロレスや格闘技を見るのが好きだが、マニアというほどではない。プロレスについて何かを語れるほどの知見はないが、プロレスの世界のこの四十年のだいたいの流れは知っている。日本に住んでいたときまでは、子供の頃からだいたい大切な試合はテレビで見てきた。全日本プロレスの試合とかSWS(メガネスーパーと天龍が組んだ団体)の試合を、結婚したばかりの頃、妻と見に行ったりした。いまはときどきPRIDEやK-1のビデオを借りて見る。アメリカの本場のプロレス(WWF、現WWE)は、一度だけサンフランシスコ郊外の「カウパレス」まで妻と見に行った。日本と違って客層がかなり怖くてドキドキした。
そんな程度のファンだ。
だから本書が提示するプロレスについての「世界観」がどの程度オリジナルで、どの程度論議を巻き起こすものなのか、それを知らない。ただ、この本はとにかく面白い。文章がうまい。広く一般を読者対象にと考え抜かれていて、本の構造がしっかりしている。だから一気に読める。
1976年のアントニオ猪木」は、マニア以外の多くのファンも含め、プロレスを語り得る「プラットフォーム」たる本なのではないかと思う。「プラットフォーム」というのは、皆から「踏まれる」(異論・反論がたくさん出る)ものだろうが、それは一つの「世界観」を提示した本の宿命だろう。
タイトルに示されるとおり、この本のテーマは「猪木」である。1976年の「猪木の狂気」が、よくも悪くも現代に至るプロレスの姿を作ったのだという著者の「世界観」はじつに説得力に満ちている。1976年、猪木はモハメッド・アリと戦った。僕を含む当時の高校生はみな大興奮して待ち焦がれ、そして凡戦に落胆した。戦いに納得できない皆が、何かを語りたかった。だから伝説もたくさん生まれた。もちろんその「真相」を本書は提示する。共感・納得するかどうかは読者それぞれの自由だ。ちなみに僕自身は納得した。
猪木がアリ戦に加え1976年に行ったウィリエム・ルスカ戦、パク・ソンナン戦、アクラム・ペールワン戦。皆懐かしい。この四戦を著者は「異常な4試合」と呼ぶ。この「異常な4試合」は、プロレスという存在の矛盾を露呈させるものだった。存在の矛盾を身をもって露呈させることができるのはある種の天才だ。天才・猪木は常識の破壊者だったが、先駆者としてプロレスをまったく新しい地平に連れていくことになった。まえがきの最後で著者はこう書く。

1976年のアントニオ猪木はあらゆるものを破壊しつつ暴走した。猪木は狂気の中にいたのだ。別種のプロレスであったルスカ戦を除く3試合は、当時の観客からまったく支持されなかった。プロレスは本来、極めてわかりやすいエンターテイメントだが、リアルファイルに変貌した途端、一転わかりにくく、退屈なものとなってしまったからだ。
だが、1976年のアントニオ猪木は日本のプロレスを永遠に変えた。
異常な4試合とはいかなるものだったのだろうか。
猪木はプロレスをどのように変えたのか。
猪木とは何か。プロレスとは何か。
本書はそれを知るために書かれた。

僕は「プラットフォーム」たる本書が「踏まれる」のをネット上でたくさん読み、それでしばらくたって改めて再読してみたいと思う。

1976年のアントニオ猪木

1976年のアントニオ猪木

参考書評
アマゾンのレビュー
「真剣勝負」の悲惨な結果
【書評】1976年のアントニオ猪木(柳沢健)
【読書】1976年のアントニオ猪木
水道橋博士の「博士の悪童日記」

 『1976年のアントニオ猪木』は、あまりにも面白すぎる。
 巻おくあたわず。
 これは噂に違わぬ、大名作だ。
 特に、俺達がライフワークと称する
 『お笑い男の星座』シリーズ。
 そのネタ元、長年、偏愛する、梶原一騎の『男の星座』、
 に流れる英雄譚の虚実の皮膜のテーストが横溢。
 むしろ、名作『男の星座』の正統的な後継本と
 断じて構わないだろう。
 もっと言えば、井上編集長の『ファイト』、  
 ターザン山本の『週刊プロレス
 村松友視の『私、プロレスの味方です』 を
 始発に旅立った活字プロレスという幻想の車窓に見える、
 巨大なる猪木という蜃気楼を追い続けた、
 俺達、昭和のプロレス者が乗り合わせた、
 因果鉄道の終着駅とも言える。