インテリジェンス 武器なき戦争

「インテリジェンス 武器なき戦争」(手嶋龍一・佐藤優共著)が面白い。著者二人が語り合う全編が刺激に満ちている。
なかでも本書の圧巻は、「日本はインテリジェンス能力を高めるべき」という意見で一致し、互いに敬意を表しあう二人のプロが、激しく火花を散らしてぶつかりあうところであった。僕はいま日本でいちばん興味深い人物は、佐藤優という人だと思っており、彼の著作は「獄中記」(読書中)をのぞき全部読み、彼と鈴木宗男に何が起きたのか、だいたいのところは想像していたわけだが、本書におけるその時期の佐藤の処し方を巡っての佐藤と手嶋の激しいやり取りは、最高にスリリングであった。圧巻は、第三章冒頭「チェチェン紛争---ラスプーチン事件の発端」の部分である。

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

インテリジェンス 武器なき戦争 (幻冬舎新書)

手嶋は言う。

日本の対ロ外交の迷走は、直接的にはチェチェン問題の処理をめぐる混乱に端を発しています。当時、鈴木宗男・佐藤ラスプーチン組は、外務省のエスタブリッシュメントと、この問題をめぐって全面戦争に突入しました。一九九八年のことでした。当時、ワシントンから事態の推移を注視していましたが、ああ、ラスプーチンは、連携の相手の見立てを誤っている。好漢惜しむべし。日本外交の本格的プレイヤーとこそ組むべきなのにと思ったものです。(p130)

さらに繰り返し、

先ほど、日本外交の本格的プレイヤーとこそ組むべきだと言いましたが、ラスプーチンは、まさにそういう人たちとこそ連携すべきだったんです。ああ惜しむべし。(p133)

と言うのだが、佐藤はこう切り返す。

そこは認識が違うんですよね。なぜかというと、私は外務省よりもっと上のレベル、つまり内閣総理大臣からダイレクトに「鈴木さんとやれ」と言われていたわけですから。当時は小渕内閣で、実際には外務省幹部が私を小渕さんと鈴木さんに差し出したんです。小渕さんに官邸に呼ばれて「おまえはモスクワやテルアヴィブなどあちこち動いて、情報を集めて俺に報告に来い。俺がいないときは鈴木宗男のところに行け。とにかく鈴木とちゃんとやれ」と言われました。

と返す。話の筋は通っている。しかし、そこからこう続く。

手嶋 たしかに小渕首相の意向は重要なファクターでしょう。が、日本の外交は実態として、外交のエスタブリッシュメントが主導権を握っている。こと国際法の問題が絡んでくると、総理が何と言おうと、その見解が絶対的な基準になる。(中略) 現状では彼ら外交のプロと連携しない限り、日本外交の舵取りに影響を与えることはできないのです。
佐藤 僕はそのような現状を打破したかったのです。官僚が内閣総理大臣の意向を無視するようでは民主主義の否定になってしまいます。(中略)
手嶋 いやいや、日本外交の意志を体現していた人々と同盟を組むべきだったのです。

手嶋の言う「日本外交の本格的プレイヤー」「日本外交の意志を体現していた人々」の代表的人物とは、現在の外務事務次官谷内正太郎である。佐藤も谷内について、あとでこう語る。

谷内さんが突然変異なのではなくて、「谷内正太郎的なるもの」が外務省という組織の遺伝子としてちゃんとあるのです。その遺伝子を受け継ぐ人がトップになれば、インテリジェンスをやれるだけの体制は作れると思う。(p137)

僕はこのやり取りの背景を説明するだけの見識を持たない傍観者だが、「国家の罠」に始まる佐藤優の一連の著作を読んだあとに、このやり取りを読むと、日本の政治や外交の世界で現実に何が起きていたのか、ドラマを見ているような面白さを堪能することができた。
さて、次は500ページ以上にも及ぶ大作「獄中記」を読もう。

獄中記

獄中記

政治犯罪はいかなる国家にもどの時代にもある。戦前の日本には治安維持法があったから状況はわかりやすかった。戦後は政治犯は存在しないという建前となっているので、政治犯罪を経済犯罪に転換するという作業が必要になる。それで贈収賄、背任、偽計業務妨害のような犯罪がつくられていくのだ。この構造が見えてくると、国家権力が私をターゲットとしている以上、絶対に逃げ切ることはできないという状況認識と、これは政治犯罪で破廉恥事件ではないのだから、正々堂々と検察官と対峙しようという腹が固まった。(p11)