毎日新聞夕刊「ダブルクリック」欄・第四回「新しい文体」

毎日新聞火曜日夕刊コラム欄の第四回です。

「新潮」十一月号で松浦寿輝福澤諭吉についてこう書いている。「彼は、何を書くに当たっても、自分が発信しようとしている言説の受け取り手が誰であるのか、自分の言説の送付によってその受け取り手の精神と身体にどういう効果を与えたいのか、彼にいかなる行動を起こさせたいのか、等々の熟慮を凝らしたうえで、具体的な目的の達成にふさわしい言語態をきわめて厳密に選択している。(中略) 折々の状況において最大限の効果を期待できる言説スタイルを選択して記号発信するという臨機応変の柔軟さそれ自体に、かつて日本に出現したことのないような種類の彼の天才があったとも言える。」
ここのところ「福澤諭吉著作集」を集中的に読んでいる僕は、我が意を得たりと膝を叩いた。ネット時代の到来とともに、広く一般を対象に発表する文章の長さに印刷物ゆえのコスト的制約がなくなり新しい文体が模索されている今、福澤の問題意識は実に今日的である。
ネット・ベンチャーの若者に聞くと、記者が書いた新聞記事がそのままネット上に転載されても、短すぎて人気が出ないのだという。新聞に書く場合、文章にどうしてもミニマリズムを貫かざるを得ない。数回の経験ではあるが本欄で文章を書いてみて、僕にもそのことがよくわかった。
ネットの進化によって、誰もが不特定多数に向って情報発信できる総表現社会がやってくる。教養、識見、文章力の備わった新聞記者諸氏は、そんな総表現社会の重要な担い手だ。しかし身体に染み付いた文体の制約でそれが達成されないとすれば、つまらないことこの上ない。現代の福澤諭吉たらんとブログを開設し、長さの制約に縛られない新しい言語態の創造にぜひ挑戦してほしい。新聞経営者はそんなことも考えなければならない時代なのである。
(毎日新聞2006年10月24日夕刊)