グーグルの特異性と強さ

昨夜はフランス人の友人夫婦と食事をしたあと、彼の家に寄って食後酒を飲みながらあれこれと話をした。フランスは日本以上の学歴社会だが、彼はその学歴の頂点を極めたゆえ、フランス社会のエスタブリッシュメント層を歩むある種のパスポートみたいなものを持っている。だが三十代半ばのあるとき、彼はそういう「予定された人生」が退屈になって、シリコンバレーに来たいと僕に相談してきた。「グーグルに入りたい」と彼は言った。グーグルが上場する前のことだ。
彼はグーグルにはコネクションを持っていなかったが、某大手ネット企業とは、その欧州部門を通じて深いつながりを持っていたので、僕は彼に、まずはそのネット企業に入ることでビザを取ってシリコンバレーに来たらどうかと勧めた。こっちに来てしまえば、自然にグーグルとのつながりも生まれるだろう。「どうしてもグーグル」と思えば、それから移ればいいじゃないの、と。
彼は僕のアドバイス通りに、そのネット企業と交渉し、ビザをスポンサーさせて、二年前にシリコンバレーにやってきた。そしてまた退屈した。ネット企業も大手になるとぜんぜん面白くない、ダイナミズムがない、と彼は言う。そしてやっぱりグーグルへ、という気持ちになったらしい。
そしてつい最近になって「グーグルへの入社の面接」が始まり、来週早々にジョブ・オファーが出るか出ないか、というあたりに来ているのだと言う。さすがだなぁ、グーグルに入るのは難しいからな、と僕はその話を聞きながら思っていた。
でも昨夜は、自分の実力に深く揺るぎない自信を持つ彼の様子が、いつもと少し違った。グーグルに行くことに、最後の最後になって、かなり悩んでいるのだった。へぇーと驚いた。あの自信満々で鼻っ柱の強い彼がねぇと。
グーグルに入ると本当に裸にならなくちゃいけない、というようなことを彼は言った。
つまり毎日毎日、自分の裸の実力で勝負し続けるということだ。エリートであるということ、過去に積み上げてきた蓄積、そういう実績が社内のポジションによって確保されるのではなく、フラットな組織の中で、そんな過去の実績などとは無縁に、そのときどきに限られた時間内でお前は何ができるのか、ということを問われ続けるのだろうと、そういうグーグルという会社の雰囲気を、彼は面接のプロセスから感じたらしい。彼が過去に一緒に仕事した人たちの中でも滅多にいないトップクラスの才能って感じの奴らばかりが、つまり頭のおそろしくいい連中ばかりが次々と出てきて、自分の才能をテストされているような感じの面接だ、と彼は言った。
そして入社したとしても、わかりやすい階層構造がないから、二年、三年とそういう激しい競争環境で働いても、「自分がこの仕事を責任を持ってやった」というような、外部に向けてのわかりやすいトラックレコードが作りにくそうだ、と彼は言う。グーグルにいったん入ったあと、辞めて次のキャリア、というのがものすごく描きにくそうだ、グーグル以外の会社だったら、だいたいこれから先自分がどういうことになるのか、すぐに見えるんだけどね、と。彼は、そんなことを感じているらしい。
彼の話を聞きながら、たいしたもんだなグーグルは、と思った。
どこの会社でもらくらく仕事をこなしてすぐに退屈してしまう彼を、入社する前から、これほど緊張させるんだからなと。
優れた才能を集めるまでは誰でも考え付くんだが、そういう連中を遊ばせるのではなく、厳しい緊張を強いていくことが難しい。でもそれがグーグルの強さの源泉の一つなんだと思う。
僕は彼に言った。「グーグルという、普通の会社とは何から何まで全く違う不思議な会社を経験すること自身を楽しむ、という、そういう気持ちが君の中にあるかどうか。グーグルに行くか行かないか決めるときに、それがとても大切なんじゃないの」と。