五年前の今日のこと

2001年9月11日、いつも通り午前5時頃に起床。ニューヨークでのテロ第一報は、ネットのニュースサイトの速報で知った。とんでもないことが起きたということは漠然とわかっていても、頭は日常から非日常へとそう簡単に切り替わらない。この日は、朝7時半からクパティーノ市のホテルでクライアント企業との朝食ミーティングがあって、それが終ったらサンフランシスコ空港に妻を迎えにいく予定だった。食い入るようにテレビを見ながらも、早くシャワーを浴びて、ジャックの散歩をして、クパティーノのホテルに時間通りに行かなくちゃと思った。
予定通り、7時半にクライアントと会った。テロから約2時間後のことだ。当然テロの話になる。誰もが食堂のテレビに釘付けになっていた。僕が、事の重大さに気づいたのはこの頃だったのかもしれない。それできっとしばらく呆然としていたのだろう。
「梅田さん、今日の仕事の打ち合わせは中止にしよう」
突然、顧客の一人にそう言われて、我に返った。今、成田からサンフランシスコ空港に向かって機内にいる妻はどうなるんだ? なんだか言いようのない不安が押し寄せてきた。とにかく空港に向かったほうがいいんだろうか(空港のほうが情報が多いかなぁ)、それともまずは家に帰って情報を集めたほうがいいかなぁ・・・・・
どういう挨拶をして帰途についたのか記憶にない。次の記憶では、僕は車の中に居て、ラジオを聞いていた。「いつもより道路が混んでいるのはテロのせいなんだろうか」とかぼんやり考えていたら、自分がハイウェイを逆の方向(南へ)にひたすら走っていることに気づいた。あわててハイウェイを降りて、北向きに乗りなおした。こんな大切なときにつまらない時間の無駄をしている自分に腹が立った。
帰宅したのは午前8時半頃。しばらくテレビやネットで情報収集しているうちに、どうやら全米の空港が閉鎖されるらしいとわかった。全米の空港が閉鎖されると、今空を飛んでいる飛行機はどうなるんだ? それでも、頭の中では、閉鎖される前にサンフランシスコ空港に着いていたほうが何かといいんだろうかとか考えていた。
その頃、日本は深夜だ。だから深夜でも絶対に起きているはずのところにしか電話できない。連載を持っている雑誌の編集部なら必ず起きているだろうと思って電話した。編集部の人たちは皆親切で、すごく心配して、最新情報を教えてくれた。
でも僕が知りたかったのは、世の中全体のことより、日本からサンフランシスコに向かっている飛行機は全米の空港が閉鎖されたらどうなるのか、ということだけだった。テレビでは「戦争」という言葉が少しずつ使われ始めていた。もし飛行機が日本に引き返すのなら、妻にはしばらくアメリカには戻らず日本の実家にいたほうがいい、と言うべきかなぁ、とかそんなことを考えていた。
航路を半分以上過ぎた飛行機は出発地に引き返さない、というルールがあるということがわかったが、妻の乗った飛行機が今どこを飛んで、どういう状況にあるのかぜんぜんわからない。ハイジャックされた四機は、すべて西海岸に向かう予定の飛行機だったことがわかり、さらに十機以上が既にハイジャックされているらしい、という噂が友人からの電話で入ってきた。成田からサンフランシスコに向かう日本の飛行機はさすがに大丈夫だろうとは思いつつも、万が一のことを思って胸が締め付けられるような気分が続いた。わけもなく家の中をうろうろしてばかりいた。
新聞記者の友人からの電話で、閉鎖された全米の空港に着陸するはずの飛行機は皆、カナダに向かうらしい、と知った。ネット上に詳細の情報はまだなかった。もしカナダに行ったら、いつ妻は家に帰ってこられるんだろう、と思った。僕は何をすればいい?
ファンドを一緒にやっている友人(インド人)から電話がかかってきて、もし妻が無事にカナダに着いたことがわかったら、二人で交代で車を運転して、一緒にカナダまで迎えに行こうと言ってくれた。少し涙が出た。
テレビをずっと見ていたが、あるときコマーシャルがなくなっていることに気づいた。そして膨大な数の犠牲者が既に出ているが、個人についての報道はいっさいなかった。個別情報は電話やネットで見てくれというスタンスが徹底され、なるほどこれが有事かと思った。
妻が乗った飛行機は別にハイジャックされているわけでもなく、カナダのバンクーバーに向かっている(あるいは着いた)ということがわかったのは、午後3時頃だったろうか。最悪の心配はもうする必要はなくなったけれど、これから何をしたらいいのかきちんと考えることができなかった。
妻から電話がかかってきた時間についての記憶ははっきりしない。夕方以降だったと思う。元気だということと「これからホテルを探して何とかサバイバルするから、落ち着いたら電話する」という短い連絡だった。ほっとして身体の力が抜けるとともに、そうか、大量の飛行機が到着して、バンクーバーのホテルはきっと満杯で、泊まるところがないのかもしれない、とそのとき気づいた。そういう想像力をもっと早く持っていれば、心配する以外何もすることがなく暇だった僕が、ホテルの空き室を探して電話予約しておけたのに、とすごく悔いた。
しばらくして、ホテルに入ったという電話が妻からかかってきた。安心して急に空腹であることに気づいて、近所に食事に出た。
カナダまで車で迎えに行くとしても明日の朝からだけど、それにはまずジャックをいつものところに預けなくちゃなぁとか、そんなことを考えながら食事をして、長い長い一日が終った。
振り返れば、人は想像を超えて大きな出来事に直面すると、正しい行動ができないものだ、ということを思う。