数学者エルデシュ

粗末なスーツケースひとつと、ブダペストにある大型百貨店セントラム・アルハズの、くすんだオレンジ色のビニール袋ひとつで暮らしをまかなっていた。すぐれた数学の問題と新たな才能を探す終わりのない旅を続けながら、エルデシュは四大陸を驚異的なペースで飛びかい、大学や研究センターを次々に移動して回った。知り合いの数学者の家の戸口に忽然と現れ、「わしの頭は営業中だ」と宣言する。そして、一日か二日、かれが退屈するか、かれを泊めてくれる数学者が疲れきってしまうかするまでいっしょに問題を解く。それから次の数学者の家へ移るという具合だった。(p10)

数学的概念を共同研究者と分かちあうことについて、エルデシュはこのうえなく寛大だった。「かれの目標は最初になにかを証明した人物になることではなかったから、だれとでも着想を分かちあった」エルデシュと論文を二本発表したアレクサンダー・ソイファーは語る。「かれの目標は、かれであろうとなかろうと、だれかが証明するのを見とどけることだった。だれもポールのように、さまよえるユダヤ人を地で行ったものはいなかった。かれは世界中を回って、数学者仲間に自分の予想や洞察を知らせて歩いた」
エルデシュは数学に多大な貢献をした」とカルガリー大学の数論学者、リチャード・ガイは言う。「だが、ぼくにとってより重要だったのは、かれがおびただしい数の数学者を育てたことだ。・・・(p47)

世界中に散らばった仲間と同時進行でたくさんの問題に取り組む、それがかれの流儀だった。「毎日かれは世界中の数学者に電話をかけるんだ」とAT&Tのピーター・ウィンクラーは言う。(p55)

エルデシュは世界中を回って神童を探しだすことを自分の使命としていた。エルデシュと十五歳で出会ったヨージェフ・ペリカーンは、かれが「まるでぼくらがプロの数学者であるかのように問題を浴びせかけて」若い才能を養ったと言う。そして、そうした配慮は報われた。(p148)

放浪の天才数学者エルデシュ

放浪の天才数学者エルデシュ