変化の国・アメリカ(トフラー「富の未来」が描くアメリカ)

トフラー15年ぶりの大作「富の未来」(上・下)。
テーマが網羅的であるゆえ、要約が難しい本だ。
だが逆にそれは、個々の読者が、その時点での自分の関心を再発見する「鏡」として利用できるタイプの本だという意味でもある。

Revolutionary Wealth

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富の未来 上巻 富の未来 下巻
そんな意味で、僕がたまたま面白いなと思ったのは、トフラーがアメリカについて書いている部分だった。僕は1991年末から92年末までサンフランシスコに住み(初めてのアメリカ生活)、その後2年間だけ東京に住み、94年にシリコンバレーに引っ越してきた。
だから、90年代以降(つまり30歳以降)は、だいたいずっとアメリカに住んでいる。
身近なこと(特にアメリカ)がじつはいちばんよくわからない、という問題意識を僕はいつも持っており、未来について網羅的に考えるこの本で、1928年生まれのアメリカ人作家・トフラーが、(たぶん)人生最後の大作で、アメリカをどう総括するのかにとても興味があった。
突き詰めて言うと、トフラーのアメリカ観とは、「変化の国」ということであった。

世界ではいま、富を生み出す方法の歴史的変化が起こっている。これは新しい生活様式、新しい文明の誕生という大きな動きの一部であり、いまのところ、アメリカがこの動きの最先端に位置している。((上)P369)

というまとめが書かれている第30章「結論」に続く第31章「変化の教え」(下巻冒頭)が、トフラーのアメリカ観の要約と言ってもいい。第31章の冒頭で、トフラーはこう書く。

現在、きわめて多数の人が実際に、自分たちの文明が脅かされており、脅かしているのはアメリカだと感じている。確かに脅かしている。
だが、ほとんどの人が考えているものとは道筋が違っている。((下)P14)

トフラーは、アメリカが世界中に影響を及ぼす(まきちらす)、軍事力、経済システム、新技術、大衆文化、快楽主義、自由放任の民主主義・・・といった要素を挙げて説明しつつ、

アメリカが世界に送っているほんとうのメッセージ、政治的スローガンや広告の言葉より重要なメッセージは「変化の教え」である。
変化の遅い社会に暮らす世界各地の数十億人にアメリカが送っている主要なメッセージはこうだ。変化は可能だ。それもはるかかなたの将来にではなく、いまの世代が生きている間に、遅くとも子供の時代には・・・。
この教えでは、変化が良いものになるのか悪いものになるのかは問題にしない。この点の解釈では意見が分かれるだろうし、対立も起こるだろう。それでも変化が可能だとする考え方自体が、世界各地の多くの人びとにとって、特に貧しい若者にとって革命的である。そして無数の例に示されているように、変化は不可能だと考えているかぎり、未来をつかみとるための行動を起こそうとする人は、まずいない。
世界各地の若い世代が変化の教えに勇気づけられた場合、その結果起こる変化がアメリカにとって、アメリカ人にとって喜ばしいものとなるとはかぎらない。(同p22)

と書く。シリコンバレーは、こんな「変化の国・アメリカ」の大半を「たいして変化しない場所だなぁ」と感ずるほど特殊な場所である。なぜかその魅力に鷲掴みされ今日に至った自分が、どれほどアメリカという国やシリコンバレーという地から強い影響を受けてきたか、つまり「環境から受ける影響」の強さということを、この文章を読んで改めて思った。

ヘラクレイトスは要するに、歴史のなかでみれば、社会制度がすべてそうであるように、思想や宗教もすべて一時的なものだと主張したことになる。そしてこれこそ、アメリカが発している真のメッセージだ。そしてもっとも深いレベルで、数十億人の睡眠を妨げ、悪夢をもたらしているのは、このメッセージなのだ。
アメリカが変化の教えを説く衝動を抑えられないのは、アメリカが変化の典型だからである。(同p23)

シリコンバレーの本質は、この「変化の教え」そのものである。
「変化そのもの」をもたらすことが「未来を創造する」ということそのものであり、変化をもたらす「未来をつかみとるための行動」に最大の価値を置く。トフラーが語るように、「変化の教え」は、多くの人の「睡眠を妨げ」「悪夢をもたらしている」わけで、その結果起こる「変化が良いものになるのか悪いものになるのかは問題にしない」という性質が確かにある。
トフラーは、特に大きな変化が世界をおそうこれからの時代を生き抜くために、アメリカの「変化の教え」を全体としては肯定的にとらえる。

守るべき伝統が他国より少ない。民族と文化の違う国からの移民が押し寄せており、世界各国から違った考え方を持ち込んでくる。世界でもとくに進取の気性に富んでいる。それも事業の世界だけではない。思想、社会活動、インターネット、宗教、学問の世界でもそうだ。そして個人の創意工夫を抑圧する他国とは違って、変化の教えのもとで個人の創意工夫を称賛する。(同p72-73)

第48章「アメリカの国内情勢」では、アメリカ社会の矛盾がさまざまな観点から描かれ、そしてこう総括される。

この騒々しい混乱ぶりをどう理解すべきか。外国人には分からない。フランス人の外交専門家、ドミニク・モイジはこう語る。「フランス人はとくにアメリカを嫌いなわけではなく、アメリカの動きをよく理解できないのだ」。だが、アメリカ人のほとんども理解できていない。そして外国人は、アメリカ人自身が理解できていないという事実を知らない。(同p284)

世界中でアメリカほど、新しい考えや新しい生き方が熱心に試されている国はない。ときには愚かといえるまでに悲惨さと残酷さの極に達し、ようやく捨てられる。この実験場では技術にかぎらず、文化や芸術、性、家族構造、ファッション、ダイエット、スポーツ、新興宗教、最新のビジネスモデルなどが実験されている。(同p284)

アメリカは失敗が許される国であり、失敗からときに、経済的、社会的に価値の高い突破口が開かれる国である。ほとんどどんな失敗も許され、失敗した後に再挑戦をはかる人が敬遠されるどころか称賛される国である(称賛などすべきでない場合もあるが)。
大実験場ではいくらでも失敗できる。失敗するリスクを恐れていては、未来を追及することはできない。そしてアメリカは未来を追及しているのだ。
問題は誰もが実験場に、あるいは実験場の隣に住みたいと考えているわけではないことだ。実験に失敗すれば、職や影響力、権力を失う人もでてくる。ときには命まで失う人がいる。(同p285)

しかしそんな「変化の国・アメリカ」ですら、次代にあわなくなった「工業文明時代に作られた制度群」(エネルギーシステム、輸送システム、教育・・・)を十分早く「変化」させることができていないことが問題、つまり「そんなアメリカですら、変化が足りない」がトフラーの結論で、

制度の変化がこれに歩調をあわせていかないかぎり、同時性が破壊され、アメリカが実験場の役割を果たせなくなり、今後、実験場が国外に移ることになるだろう。(同p298)

変化を厭う国や人びととは発想が全く違うのだ。
トフラーの「富の未来」で描かれるアメリカ論を読むと、「ウェブ進化論」で詳述したこれから起ころうとしている大変化、そして本欄で議論を続けている「ウェブ進化論」以降の同時代的変化、「変化の国・アメリカ」の「変化の教え」をさらに先鋭化した「大実験場」シリコンバレーの現実を、より深く理解できることと思う。