「ウェブ進化論」とグーグル

本欄の熱心な読者の方にはもう言わずもがななのだが、「ウェブ進化論」では相当じっくりとグーグルについて書いた。第二章「グーグル」の草稿は400字詰め原稿用紙で100枚を遥かに超え、絞りに絞って、本に収録した最終的な原稿になった。
むろんグーグルを巡って世の中はどんどん進化する。原稿を修正できるギリギリまで引っ張って、2006年1月の「Google Video」までは、その意味を考えて本書のしかるべき場所に入れ込んだが、その後の推移は、この本を補助線にしつつ、本欄でリアルタイムに考えていきたいと思う。
言うまでもなく、僕は「グーグルのここまでの達成」をものすごく高く評価している。
意見が異なる人がいるのは知っているし、グーグルがこれからもこれまで通り順風満帆で成長できるのかどうか、責任が重くなっていくと共に日々生まれる「社会との軋轢」をきちんと乗り越えつつあの強烈な個性を維持していくことができるのかどうか、すべてはこれからのことだと思う。
ただ「グーグルのここまでの達成」の意味は、現代の常識としてできるだけ多くの人がきちんと理解しておく必要があると思ったのだ。本書の感想の中に「グーグルを礼賛しすぎている」というのが散見されるが、少なくとも「グーグルのここまでの達成」については、いくら言葉を尽くして称賛しても足りないと僕は考えている。そのくらい大きなことをネットの世界にもたらした会社だと思う。
むろんこれからのことはわからない。でも「これからのことはわからない」からという理由で、両論併記で「グーグルの良さと問題点」を併記して書き手としてリスクをヘッジするという態度をとるには、その達成の程度が凄すぎる、というのが僕の判断だった。
グーグルについて「検索エンジンと広告の会社」くらいの認識しか持たない人に、グーグルの本質をどう伝えよう。この本を書く苦しみは、そこから始まった。第二章の構造がこんなふうに頭の中にまとまってきたときに、何とかこの本を最後まで書き上げることができるかなと思った。

序章でも述べたように、グーグルの何が凄いのかということをほとんどの人がよくわからない。グーグルは、目に見える製品、手で触れる製品を作っていない。ネットの世界を深く経験したことのない人には、その実体を想像することすら難しい会社なのである。
本章では、何とかその難しさに挑戦する。
次のような順序で、グーグルについて考えていくことにする。
(1) 「世界中の情報を整理し尽くす」というグーグルの構想の大きさと、グーグルという会社の個性の質について。
(2) この大きな構想を実現するために、情報発電所とも言うべき巨大コンピュータ・システムをインターネットの「あちら側」に構築してしまったことについて。
(3) その巨大コンピュータ・システムを、チープ革命の意味を徹底追及した全く新しい作り方で自製し、圧倒的な低コスト構造を実現したことについて。
(4) 検索連動広告「アドワーズ」事業に加え、低コスト構造のインフラが存在して初めて可能となる秀逸な「アドセンス」事業を構想・実装し、大変な収益を上げていることについて。「知の世界の秩序の再編成」に「富の再配分」のメカニズムまで埋め込んだ凄さについて。
(5) 二〇世紀までのどんな会社もやったことのないようなやり方で、社内の組織マネジメントに新しい思想を導入し実践していることについて。
(6) 既に存在する多くのネット企業のどの会社とも全く似ていないことについて。
(「ウェブ進化論」P49-50より引用)