Web 2.0の本質は何だろう

2002年10月にBlogを始めて以来いちばん忙しく、なかなかエントリーが書けない。その間に「Web 2.0」についてさまざまな議論が沸いている。その一つ一つに感想を述べることができず残念に思っている。
本欄でまた頻繁に更新できるのはたぶん年明けからになるが、それだとさすがに遅すぎるだろう。簡単に一言だけ「Web 2.0」について書いておきたい。
Web 2.0」は概念なんだという話は数週間前にした。
ではその概念に含まれているエッセンスは何か。色々なエッセンスの抽出の仕方はあると思うが、僕は「1995年以来進化してきたウェブ世界に、これまでよりもさらに一歩進んだ開放性をもたらそうと希求する考え方や行動」が「Web 2.0」の本質なのではないかと思う。
たとえば「Web 2.0」の文脈でよく語られる「サービスのAPI公開」というのは、ネット上の有象無象の連中を対象に「どうぞ自由に使って何をやってくれてもいいですよ」と自ら(データベースを含むサービスの機能)を「開いていく」ことである。ネットに本来備わっている「開放性」よりも、さらにいちだんと開放的である。
この「開放性」は、ネット上の「不特定多数無限大」に思いを馳せ、その連中の力を侮らず、警戒感よりは信頼感のほうにより重きを置いた発想をしなければ生まれない。「不特定多数無限大」を警戒しつつも、開放による実利を求める冷静さを、サービス提供者が持たなければ「Web 2.0」は実現されない。
そしてこの「開放性」は、ネット全体の「資源の有効利用」を促す。誰かが何かを作って(たとえばグーグルがMapsを作って)APIが公開されれば、その上で自由に誰もが新しいサービスを作れるとなれば、もう誰もわざわざゼロからMapsのようなサービスを作らなくなる。大物部分を作らなくても面白いサービスが開発できるネット上の「個」にとって、「Web 2.0」は朗報である。サービスやアプリケーション開発コストが恐ろしく下がるからだ。それが「資源の有効利用」の意味である。
一方その結果として、グーグルをはじめとするネット列強が最大公約数的な部分を押さえて「PC上のOSのような役割」を果たすという、「閉鎖性」と言えるかどうかは難しいけれど、「開放性」ゆえの帰結と言うにはやや釈然としない「某かの独占」状態が生まれる。
だから、ネット上の「不特定多数無限大」の「個」とネット列強にとって、「Web 2.0」は明らかにプラスである。ただし、ネット列強がそれに気づき「イノベーションのジレンマ」を乗り越えられればという条件がつく。
問題は、「Web 2.0」が新しい企業群を生み出し育てるキーワードになるかである。ここは意見が分かれているところだし、僕も明確な答をまだ持たない。下手をすれば、自社の土台を作る前に「不特定多数無限大」の海と自社の間の境界が曖昧になって、企業なのか個人なのか、単なるサービスなのか、何が何だかわからなくなってしまう。
ネット列強は、一つ前のルール(「Web 1.0」)でネット列強となり得た。その土台があれば「Web 2.0」戦略は色々に描ける。グーグルが毎週のように新しい機能やサービスを投入しているが、列強のトップに躍り出たグーグルには取るべき戦略が山ほどある。
一方、ネット列強に買収してもらうことをゴールに「Web 2.0」的な会社を作るのなら戦略は描ける。チープ革命の恩恵を最大限に利用し、コストをあまりかけずに素早い開発に徹し、特定分野で一瞬でもいいから競争レースの先頭に踊り出て、買収先を探すのである。最初から企業の永続性を考えなくてよいなら、会社運営で考える要素もずいぶん少なくなる。経営というよりもお祭りでいいからだ。
でもそれだけでは、「Web 2.0」が新しい企業群を生み出し育てるキーワードだとは言えない。そのあたりにまだ誰も明確な答えを持てていないから、「Web 2.0」が何となく怪しげなキーワードでとどまる。それを「煽り」と見る人がいても不思議はない。
結局は「Web 2.0」企業と呼ぶべき新しい企業群が実際に大きく成長して見せて、その意味を証明するしかない。今行われている「Web 2.0」議論のすべては、そのときが来て再検証されるべき素材なのだと思う。たくさんのキーワードの周りでさまざまな試行錯誤が生まれるということは、これまでもずっと続いてきた。その試行錯誤の中で、生き残るキーワードもあり、煽りで終るキーワードもある。すべては起業家の力量による。結果論でしか、その正しさや誤りは語られない。だから何を語るにもリスクを取らなくちゃいけない。
たとえばグーグルが生まれて成長しなければ、現在のウェブ世界は、今とは全く異なるものになっていただろう。サーチの重要性を90年代に議論していた人は、後になってやっと評価されるのである。しかしだからこそ、この産業の競争は面白く、また、この産業について議論することも面白いのである。