「コンピュータが将棋を制する日」は来るか?

親切な知人が「情報処理」2005年7月号「コンピュータが将棋を制する日」を貸してくれたので読んでみた。また羽生善治著「決断力」

決断力 (角川oneテーマ21)

決断力 (角川oneテーマ21)

もあわせて日本から届いたので、「コンピュータが将棋を制する日」が果たしてやってくるのかについて夢想してみることにしたい。わかりやすい議論の取っ掛かりとして、コンピュータ将棋の専門家である公立はこだて未来大学松原仁氏のこの言葉から。

筆者はコンピュータ将棋の研究を始めたときに名人に勝つのは2010年と予測した。その後弱気になって予測を2015年と後退させたが、もはや後退させる必要はないと感じている。すなわち、2015年までにはコンピュータ将棋が人間の世界チャンピオンに勝つ。

研究にはこういう刺激的で明確なゴールが必要で、第一人者がこうしたゴールを提示することで研究が盛んになる効果がある。松原氏の学会誌におけるこのコメントには、そういう意味が含まれている。
僕の予想は、

2015年段階(つまり10年後)では、コンピュータ将棋はかなり強くなっているものの、ある時期に羽生さん定義するところの「高速道路を越えたところでの大渋滞」
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u100.html
に差し掛かって(トッププロには勝てないレベル)、それからはかなり長い間そのレベルの強さでとどまるのではないだろうか。

というものだ。
ところで羽生善治著「決断力」の中にこんな言葉がある。

今の将棋で、戦術面で進歩したのは、序盤のさまざまな形が研究され分類されてきたことと、有利な局面を勝ちに結びつけていく技術が進んだことだろう。(略)
駒がぶつかったあとからは争点がはっきりとするのである意味、考えやすい。そこから逆転の機会をつかむのは難しい。勝負どころはもっと前にあるのだ。駒がぶつかっていれば誰でも考えやすい。争点だけ考えればいい。しかし戦いが始まる前に香車を上げるとか端の歩を突くというのは難しいし、考えづらい。それで争点が生きてくる。相手に差をつける勝負どころなのだ。(p22)

今の将棋界は、当たり前とされていたことが、どんどん変わっている。十年前、二十年前に当たり前であったものが今は通用しない。逆に考えると、今、定跡といわれるものも十年後には間違いとなる可能性があるのだ。(p80)

この「駒がぶつかる前」にある「勝負どころ」、つまり「構え方」の戦いで勝負がつくような将棋を指すトッププロ、定跡を自ら創造するようなトッププロには、コンピュータはそうやすやすと勝てないのではないかと思うのである。
昨日は、充実ぶりが凄い佐藤康光棋聖が羽生四冠の退けて棋聖防衛・四連覇を果たしたが、今夏の羽生・佐藤十二番勝負(あるいは十七番勝負)で展開されている佐藤将棋のような将棋に対して、コンピュータはかなり強くなってからも、相当長い間、手も足も出ない状態が続くはずだ。
偶々同書の中で、羽生四冠の佐藤康光論が書かれている。

それは序盤の数手でわかる。隅から隅まで研究していて、「どこからでもかかってこい」と誘導しているなと、序盤の駒組みでわかるのだ。(略)
たとえば佐藤康光さんは、対局の前に戦法を決めているようだ。きちんとした作戦が立てられている。相手がどの戦法でやってきても、ある程度の形までは研究が行き届いているので、迷いがない。自信を持って出てくる。
これは大変なことで、たくさんの戦型に対してありとあらゆる対策を用意している。自信を持つには相当勉強しなくてはいけない。それをやっている数少ない一人である。(p83-84)

余談だが、棋聖戦第三局も王位戦第二局も棋聖戦第五局も、すべて後手番で佐藤棋聖が羽生四冠を破った将棋は、まさにここに書かれている通りの佐藤棋聖の姿を現したものと思う。
もしもこんなふうにトッププロが本気になってコンピュータと立ち向かえば、コンピュータはそこを突破できるのだろうか。そのあたりの大勝負を、2015年になるのか2020年になるのか、もっと先になるのかわからないが、きちんとやってもらいたいと心から思う。人間の素晴らしさが逆に証明されることになるはずだ。
さて、同書の中で羽生四冠はコンピュータ将棋の今についてこう書く。

今、市販の強い将棋ソフトの棋力は、アマチュア三段ぐらいのレベルといわれている。
しかし、人間の三段とはちょっと違う。あるところはプロ級で、あるところは初心者というアンバランスな強さなのだ。(略)
コンピュータは攻守が複雑な中盤では弱いのではないか。
だが一方、終盤が一直線に詰ませ合うときのコンピュータはプロをも凌ぐ。最後の「詰め将棋」のような選択肢が絞られる局面になると、計算能力を駆使してすごい強さを発揮するのだ。(p164-165)

人間のトッププロ対コンピュータの真剣勝負が行われるとすれば、当然、相手の「初心者同然」の弱みを突く戦法に出る。弱いもの同士で将棋を指している間は、アンバランスな強さでも勝てるが、トップレベル相手では「弱み」を克服しておかないと勝てない。コンピュータはここを克服するのに、かなりの時間がかかるだろうと思うのだ。
「情報処理」7月号には、「激指」開発者の鶴岡慶雅氏の論文も掲載されている。その最後にコンピュータ将棋の課題について書かれていて、その部分が面白い。

このことは一見、プログラムの強さというものが、開発者の将棋に関する知識によって非常に強く制約されているのではないかという印象を与える。つまり、プログラムを強くするためには、開発者もプログラムと同じくらい将棋が強くなくてはならないのではないか、ということである。
ところが幸運なことに現実の状況はそうではなく、プログラムのほうが開発者より強いというのはまったく珍しいことではないし、また逆に、開発者の棋力がプロ並みだからといってプロ並みの強さのプログラムが作れるわけではない。その大きな理由は2つある。1つには、コンピュータ上のプログラムとして表現できる知識がそれほどリッチではないということである。たとえば、評価関数として実現されているものは、ひいき目にみてもアマチュア級位者程度の大局観である。(略) もう1つの理由は、量が質にダイレクトに結びつくという性質である。

重要なのは理由の一つ目である。この部分の理論的研究にブレークスルーが出なければ、「高速道路を抜けたあとの渋滞」くらいのところまではいけるかもしれないが、トッププロと雌雄を決するほどの存在になることはできないのではないか。そしてそのブレークスルーがあって、しかもトッププロが本気で自らの大局観についての発想や考え方をコンピュータに教え込む決心をしたときに初めて、コンピュータがトッププロを脅かす存在になるのではないだろうか。
冒頭で「情報処理」を貸してくれた知人について触れたが、彼は今、日本の某IT企業のシリコンバレー拠点に勤めている。将棋は指さないが囲碁は五段の強さで、昔はコンピュータ囲碁のプログラムも書いていたそうだ。彼がいみじくも「将棋ソフトは今がいちばん面白いときなんだろうな」とつぶやいていたけれど、「次の10年」の将棋ソフトと進歩と、人間との戦いには目が離せない。松原仁さんによれば、

将棋ファンは少なく見積もっても1,000万人程度は存在すると思われるが、現時点で激指に勝つことができる人間は(プロ棋士も含めて)1,000人程度と考えられる

のだそうだ。僕の予想をこの数字にあてはめていえば、2015年にコンピュータ将棋は、トップ100くらいのところで勝ったり負けたりという状態(高速道路を越えたところでの渋滞)になるかもしれないが、トップ10との五番勝負、七番勝負では、2015年以降もかなり長い間、負け続けるという状況が続くのではないか、ということである。
ちなみに勝ち負けの定義は、松原仁さんの

短い持ち時間の対戦で人間に勝ったとしても真の勝利とは認めてもらえないので、プロ棋士のタイトル戦と同じ持ち時間(8時間もしくは9時間)で7回戦のうち4勝することを勝ちの定義としたい。

をベースにする。著書「決断力」の中で羽生四冠は、いずれ強くなったコンピュータと是非対戦したいという意向を示しているが、

ただ、対戦するのはいいが、休憩中は電源を切ってほしい。そうでなければ不公平だ。(p164)

と書かれている。いずれにせよこんな議論が真剣に行われる日を楽しみに待ちたいと思う。