<4/2> 将棋世界4月号「現代に生きる大山振り飛車」より
「大山が初めてこの手(棒銀対策の決定版とも言われる4二金)を指したのは、昭和46年の対中原戦だ。それが、プロ棋士の間ではっきり有力な作戦だと認識されたのは平成5年前後のことだという。(略) 大山は死ぬまでその優秀性を世に知らしめなかったのだ。実はここにこそ、大山の真の強さの秘密があると言ってもいい。」
「よく大山はライターに恵まれなかったと言われる。(略) 自身の本音を鋭く活写するようなライターには、大山は仕事を任せなかったように思う。」
「考えてみると、手の内を明かさないこと、本音を明かさないことが、大山の勝負術の中ではかなり大きな部分を占めていたに違いない。」
「私は対振り飛車には急戦よりも持久戦を採ることにしています。(略) 急戦でうまい手を指すとすぐにマネされてしまうという気持ちがいつもあったからです。」(大山)
「自分で指した手で、自分の振り飛車を負かされてはたまらない。だから、大山は振り飛車に対して分かりやすい急戦で立ち向うことはほとんどなかった。」
「すきを見せずに自陣を固めるテクニックは現代将棋で最も重要視される部分。その感覚で、大山先生は突出していたと思う」(藤井)