村上龍「半島を出よ」

半島を出よ (上) 半島を出よ (下)
何せ書き下ろし1650枚の大作なので、読むのに時間がかかったが、日本へ出発する前に何とか(上)を読み終え、(下)を機内に持ち込んだ。おかげで機内ではあまり眠ることができなかったが、東京に着くまでに読み終えた。さすが村上龍。力技である。
齋藤美奈子クラスならば「批評自身が芸」という感じの文芸批評をこの本に対して書くだろうからそれはいいとして、こういう小説に対して書かれるだろう安易な批評にはほとんど何の意味もなかろう。
僕よりも先に「半島を出よ」を徹夜で読了したid:kunihiroishigurが、内容をばらさぬよう配慮しつつも僕に一言で言った感想が「凄かった。でも、もっと長くても良かったな」だった。確かに最後まで読んでみて、その意味がよくわかった。「北朝鮮の反乱軍が福岡を占領する」というシチュエーションにおける日本の姿の描写が、本書よりもさらに延々と続く今の3倍か4倍の長さの、長い長い小説を読みたかったなという彼の思いには、とても強く共感する。
東京では、会う人、会う人に「面白いから絶対に読んだほうがいい」と薦め、「どうせ読みそうもないな」という感じの反応の人に対しては、わざとべらべらと、冒頭からのあらすじを語り始めることにした。そうすると途中で、「もうやめてよ! 自分で読むから」という人が、その中の半分くらいいた。
この本は絶対読むべし。必ず何かTakeawayかあるはずだ。

Blogについてずいぶん深く考えた一週間

http://d.hatena.ne.jp/jkondo/20050422
に写真が載っているように、今回は、僕の本業のMUSE Associates側からは休暇扱いの日本出張で、「はてな」仕事がほとんどの東京だった。
また、出席者の一人が早速サマリーを書いてくださった
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=537
FPNの座談会」での数時間も大変充実したものだった。2002年秋ごろからBlogなるものを書き始め、それをCNET Japanに移して、そしてまた今度はここに移したわけだが、その間に考えたことも参加者の皆さんと話をする中で色々と整理された。その他の会合でも、Blogについて考える機会が多かった。
出張前に書いた「ブログのPage Viewについて」
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050413/p1
を巡っては、ずいぶん連鎖的に色々なエントリーが書かれ、さまざまなサイトのPage Viewの実際が語られていて、認識を新たにする部分も多かった。日本とアメリカは全く違う方向にBlogが進化し始めているような印象も持った。
FPNの「梅田望夫氏 座談会レポート」
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=537
は、たくさんの話をした中からうまく僕の問題意識が抽出されたメモなので、このそれぞれの項目に解説を加えたりしつつ、今週は何回かに分けてBlogについて、今の僕が考えていることを書いてみようと思う。
モノを書く仕事をしていて難しいのは、過去に書いたものに知らず知らずのうちに縛られることである。本当は考えが変化したのにもかかわらず過去に何か書いてしまったためにその考えに縛られるということが実はよくある。しかし「自分が書いたモノに責任を持つ」ということと「過去に書いたものに縛られる」というのは実は紙一重の差で、前者は重要だが後者は退化である。たとえば、僕は2003年3月に、Blogについてこんな文章を書いている。
http://www.mochioumeda.com/blog/2003_03_09_archive.html#90622492
http://www.mochioumeda.com/blog/2003_03_09_archive.html#90682050
これらはCNET Japanサイトにも移したので、そちらのアーカイブでも読めるが、もともとはこんなスタイルで、こんなBlogツールを使って、僕の個人サイト上に書いたものだ。
これらの文章を書いてから2年以上が過ぎたわけだが、その間の数々の経験を経た僕のBlog観は、今やずいぶん変化して、全く違うものになった。
そのあたりの経緯や考え方をきちんと示すことが、「過去に書いたものに縛られる」ことなく、しかし「自分が書いたモノに責任を持つ」ための試みとなる。