ちょっとした贅沢をした。金子金五郎、再び。

今年の一月から四月にかけて、何度か金子金五郎について取り上げた。
出でよ、平成の金子金五郎(=将棋解説者)
無限から有限へのマッピング: ものを書くということ
金子金五郎の将棋解説の真髄とは何か
昭和の名稿「金子教室」
今年一年間、たくさんの棋譜を並べ、たくさんの将棋解説や観戦記を読んだ。現代将棋はどんどん進化している。現代において、対局を検討する将棋連盟やタイトル戦の控え室(将棋の最先端の研究室)では、金子の問題意識とは異質な主題を中心に議論されているのだろうということは、最近少しわかるようになってきた。そういう雰囲気の中からきっと新時代の将棋解説の決定版がいずれ生まれてくるのだろう。
でもやっぱり、僕は金子金五郎に惹かれてやまないのだ。金子の書いたものを読みながら将棋盤に向かうと、心が落ち着くのである。
一局の将棋を構造化して、棋士の魅力、棋譜の魅力を、誰にもわかりやすく語るのだ、という金子の決意が時空を超えて伝わってきて、なぜか僕の心は安らぐのである。どうやら、書き手である金子と読み手である僕の間にはとても親密な何かがあるようなのだが、これは非常にプライベートなことに違いない。
ここ一ヶ月、ジャックのこともあって、気分が落ち込むときもあったので、昔から「やりたいなあ」と思いつつできていなかった「ちょっとした贅沢」を、この期に思い切ってすることにした。ヨーロッパ旅行もキャンセルしたことだし。
まず、友人のつてをたどって、アルバイトを引き受けてくれる将棋好きの若者を探した。そして僕は、彼に国会図書館に行ってもらって、昭和25年から「近代将棋」誌への連載が始まった、金子金五郎が書いた将棋解説をすべて入手することにしたのだ。以下、彼とのやり取りの一部だ。
一日目。

本日(25日)やっと国会図書館に朝から籠もって作業してきました。丸一日かけて2000ページほど印刷手続きをしてきましたが、それでも約12年分くらいです。仮に1980年くらいまでだとすれば、あと3000ページくらいはあると思われます。(略)
金子先生の文章は初めて読んだのですが、まさに「将棋文学」ですね、とても面白いです。

二日目。

全連載のコピー手続を終えました。
一人では終わらないかと思い、朝から友人を一人引き連れて作業したのですが、正解だったようです。思ったより連載は長く続いていました。
なんと金子教室は1986年頃まで続いており、最後の原稿は1988年の2月号における随筆でした。86歳頃まで原稿を書き続けたことになりますね。(略)
金子教室は本当に量が多いので、一生をかけてじっくり読む覚悟が必要かもしれませんね(笑)

来年になると、6,000ページから7,000ページにおよぶ、金子金五郎が後半生を賭けて書き続けた将棋解説(1950年から1986年までの36年分)が、僕の手元に届く。こんな酔狂なことに時間とカネを使う者は、きっとあまりいないだろう。彼が言うとおり「一生をかけてじっくり読む覚悟」である。