「「兵士」になれなかった三島由紀夫」(杉山隆男著)

日本中を震撼させた衝撃の自決から37年―初めて明かされる「兵士」三島由紀夫の素顔

とオビにある。面白いノンフィクションで一気に最後まで読んでしまった。
1970年11月25日の事件の衝撃は小学校時代の鮮烈な記憶のひとコマではあるが、その背景についての知識が断片的だったこともあり、本書で語られる三島と自衛隊との関係の深さ、三島の肉体の鍛錬の具体的レベル、自衛隊で受けた訓練の詳細、訓練を受ける過程で心を通わせた自衛隊員と三島の間での問答、当時の自衛隊将校の心にいまも残る三島の意味、三島夫人の雰囲気、自決当日の檄文の先見性・・・どれもが興味深かった。
本書は1960年代後半に三島と深い交流のあった自衛隊員の徹底的な取材によって書かれたもの。「ボディビルで上半身だけは鍛えた」と言われていた三島の肉体が実際にはどのくらい強靭なものだったのか(腕立て伏せなら普通の自衛隊員以上にできたとか)、三島の剣道の実力(自衛隊員の一人が「お手合わせ」をと頼み挑んだが完敗したとか)、そういう細部から立ち上がるリアリティが、一人の人物を饒舌に語るものなのだなと改めて思った。
しかし「あれから37年なのか」と思うが、本書を読み通してみて、「1970年の日本」は、同じ日本でも、今とはずいぶん違う国のような印象を受けた。考えてみれば1970年当時は終戦からまだ25年。それ以降の37年という時間のほうが遥かに長いのだから、当たり前といえば当たり前なのだが・・・。同時代を考えるのは本当に難しいものである。

「兵士」になれなかった三島由紀夫

「兵士」になれなかった三島由紀夫

つい先日、三島由紀夫がどこかの大学で行った講演の音声をiPodに入れて飛行機の中で聞いたのだが、「エリート官僚(あるいは実務能力におそろしくすぐれたビジネスマン)の話し方そのものではないか!」と想像していたのと違う「話し方」(元大蔵官僚であることのほうが講演の話し方の地になっているのかと)に実は驚いた。それで「何という不思議な人なんだろう」と思ったのだが、本書を読みさらにその思いが強くなった。終章で著者が高校一年生のとき(三島自決の二年前)に、自衛隊式典で三島の姿を眼にした場面を述懐しているが、

間近も間近、手を伸ばせば触れるようなすぐそこに、三島由紀夫がいることに私は興奮して、級友のTの肘をつつきながら、「ミシマだよ、ミシマがいるよ」と熱に浮かされたようにうわごとめいたつぶやきを繰り返していた。

1925年生まれの三島は当時40代前半。この圧倒的存在感は、いまでいえば誰みたいということになるのだろう。