昭和十年の将棋観戦記

将棋名人戦は今年第66期であるが、第1期名人戦昭和10年6月の花田長太郎八段対金子金五郎八段戦から、昭和12年2月の木村義雄八段対花田長太郎八段戦まで、足掛け三年の歳月をかけた「八段特別リーグ戦」(9名の八段<土居、大崎、金、木見、花田、木村、金子、萩原、神田>の先後総当り、二日制・持ち時間各13時間)であった。それまでの「一人一世名人制」の最後の名人、十三世名人・関根金次郎が引退するとともに、一大事業として実力制名人制がスタート。第一期名人には、この「八段特別リーグ戦」の最高得点者・木村義雄がなった。ちなみにこのまま十四世が木村義雄。十五世が大山康晴、十六世が中原誠、十七世が谷川浩司で、このたび森内俊之が十八世名人となったわけである。
今日からこの「八段特別リーグ戦」の観戦記(「将棋名人戦全集」第一巻)を読みながら棋譜を並べている。シリコンバレーから昭和十年の日本にタイムスリップしたような不思議な気分だ。とにかく異様なほどの興奮が当時の観戦記から伝わってくるのだ。
とにかく観戦記が長い。
新聞にどう掲載されたのかはよくわからないのだが、計算してみると一局あたり400字詰め原稿用紙で70枚(図面は別、文章だけで)に及ぶ。しかしこれだけ長いと、一つの将棋で何が起きたのかが、かなりよくわかる。第一譜冒頭はこう始まる。戦前の高らかに謳いあげる調子の文章だ。

棋道三百五十年の「一人一世名人制」を敢然打破し、八段リーグ戦により名人位を決定せんとする昭和棋界の最高峰を行く「歴史的の大棋戦」はどうして生れたか。
一、十三世現名人関根金次郎氏が欣然と後進に道を譲ったこと。
一、准名人八段が雲の如く輩出し、さながら紅紫絢爛棋界の黄金時代を現出したこと。
一、時の流れがかくさせたこと。
(中略)
この重大な意義をもつ八段リーグ戦の棋譜を本社が独占する喜びを公表するや、この霹靂にも似た巨弾に忽ち日本全国一千万将棋ファンの心臓は押し潰され、感激と絶賛の嵐がごうごうと渦巻いたのだ。

ここでいう本社というのは毎日新聞社だと思う。「霹靂にも似た巨弾」に、ファンの「心臓は押し潰され、感激と絶賛の嵐がごうごうと渦巻いた」というのは、しかし凄い。その熱狂が、読み応えのある長い長い観戦記を生み出したのであろう。
とにかく面白い。二日制で持ち時間が各13時間なので、昭和十年の花田長太郎八段対金子金五郎八段戦は二日目の深夜から夜明けまで激闘が続く。
二日目午前一時をまわったところで凄いシーンが描かれる。

全く苦戦に陥った花田八段また身体を震はし興奮のあまり思はず「3三銀」と「2二金」の二つの駒を軽く指先きで触れる。キッとなった金子八段刃のような目を光らし「手をやるな」と裂帛(れっぱく)一声! 先輩花田八段を鋭く叱りつけたのだ、もう身体は自分のものでないほど、疲れ切り両手で辛うじて支へ対局を続けていながら、こと対局に関しては、生命をかけて真剣な態度だ。この気魄!

そして終局は、夜が白み始めた午前四時廿二分。

戦ひが終り気合抜けした金子八段は、盤面の傍に身体を横たへて、血走った目で終局の盤面を見つめている。勝利を得た花田八段また茫然自失、盤面から目を離さず膝を組み両手を胸にあてて黙して語らず吐く息だけが苦しさうだ。誰一人声を出すものがない、白兵戦に酔ってしまつたのだ。