電話もない頃の知的生産

金子教室」について書いてみて、それを改めて読み、当たり前ながら、電話のない頃と、これだけ通信環境、ネット環境が進んでしまった今の「知的生産のあり方」が激変していることに気づく。
なるほど昭和25年に雑誌に原稿を書く(金子の場合は「将棋の解説」)とき、まず編集者が筆者に電報を打ち、筆者が編集者の家にやってきて(編集者が筆者の家で待つほうが普通か、このへんは筆者によっていろいろだろうが、編集者が物理的に筆者の横で原稿のできあがりを待ったという話はよく聞く)、そこでたった一人で、通信手段もないから誰かと相談したり、新しい情報を得たりすることなく、対象(金子の場合は対局の棋譜)と孤独で向き合い原稿を書くわけである。当たり前のようで、今の知的生産とは全く違う。
たとえば、自分一人で考えてもわからない箇所が出ると、現代の我々は安易に何かに頼りがちだ。たとえば将棋解説の例で言えば、対局者の感想を聞いてみようにも、他の専門家の意見を聞いてみようにも、一緒に考えてくれる人を探そうにも、携帯もなければメールもなければ何も通信手段もない、という状況はイメージしにくい。

何枚か書かれても、気に入らないと、破って書き直し。それが繰り返されます。深夜に及ぶことはしばしばのことでした。精根つくされた「金子教室」ができ上がりますと、側にいた私もぐったり (永井英明)

という具合に、金子は孤独に一人で行くところまで行った上で書くから、

そして自分にわからぬところがあれば「わからん」と言っている。態度がはっきりしている。おざなりの妥協をしないのだから。(升田幸三)

となり、それが時代を超える作品になる。だから、

金子さんの場合、執筆する時は地獄ではないか。私はそのように感じ、求道者の姿を見る。(升田幸三)

と升田をして言わしめたのであろう。なんか少し昔が羨ましい気がした。