ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

ジェイ・ルービンの「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」が面白かった。
村上春樹は長い海外生活のあいだ、米国の大学で自著に関する講演や質疑をかなりこなし、海外のジャーナリストからの取材もけっこう受けていて、そういう英語をソースとする内容がいろいろと盛り込まれて新鮮だったこと。きわめて網羅的研究書でありながら(514もの注がつくアメリカの学者の本らしい本)、全編が作品に対する愛情であふれていること。日本の本だとあんまり出てこない陽子夫人についての言及がかなり多いこと。「春樹と陽子は・・・」みたいに。村上春樹の小説の翻訳者である著者(ジェイ・ルービン)との間の私信やインタビューも情報ソースになっていること。各章の初めに、村上春樹の時代時代での著作が、どういう場所でどういう状況下で書かれたかが丁寧に書かれていること。この本自体の翻訳が読みやすいこと。

ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

ハルキ・ムラカミと言葉の音楽

いちばん大事なことは確信です。自分には物語を語る能力があるのだ。自分が語っていることは必ず水脈に突き当たるのだという確信です。幾つかの要素はやがてパズルのようにきちんと組み合わされるのだという確信です。その確信がなければ、あなたはどこに行くこともできないでしょう。長編小説を書くことはボクシングをするのに似ています。一度リングに上がったら、引き返すことはできません。一度そこに上がったら、とにかく最後までやりとげるしかないのです。(中略)
僕は物語の力というものを信用します。物語が我々の精神の中に引き起こす作用というものを信用します。それは古来から我々が引き継いでいるものです。ジョン・アーヴィングがかつてこんなことを言いました。「良き物語というのは麻薬注射のようなものだ。君が読者の静脈にいいやつを注射できたら、彼らは列を作って君のところに次のを買いに来る。批評家が何といおうと誰も気になんかしない」と。かなりひどい例えだとは思いますが、彼の言うことはあたっています。(p97-98)

たとえばこの文章は、バークレーで英語で行われた講演の一部である。