「ロングテール論の修正と「AmazonとGoogleの違い」」についての補足
「ロングテール」論というのは学説でもなければ理論でもない。ネット世界で今起きていることを「こんな視点から眺めてみたらいいんじゃないか」という「視点の提供」にすぎない。そういう「視点」がそこそこ面白ければ、そのまわりであれこれと考える人が現れて、今まで外に出てこなかった情報も企業からポロポロと出てきたりして、さらに考えることができる。そういう性格のものだ。ところで僕の「ロングテール論」観は、以前にも本欄(3月13日前後の一連のエントリー)で書いたが、次のようなものである。
ロングテール論の本質は、ここで書かれているように「ネット列強のビジネスモデル」を解読するという意味合いが強いと僕は考えています。でもそれだけだと「私にとってロングテール論ってどういう意味があるの?」という想定的問いかけに「いや何も関係ないよ」と素っ気無く答えるだけになってしまいます。現実には、ロングテールを追求するインフラというのは誰もが持っているものではないので、普通の個人にとって、普通のリアル企業にとってロングテール論なんて「So what?」です。でも、それだと盛り上がらないから、さまざまな仮説をロングテール論の周辺で展開して、もっと全体にとって意味のある議論にしたほうがいいんじゃないかと思っている人たちがいて、いろいろな仮説が提示され始めた段階にあるのだと思います。
若干付け加えれば、チープ革命や「Web 2.0」のおかげで、「ネット列強」でなくとも上手にネット事業を経営すればロングテールの追求はできる。ただあくまでも「ロングテール」とは、ネット事業を運営するインフラを持たない者にとってはほとんど意味がないものだと僕は相変わらず考えている。
今回修正が行われた「57%なのか36%なのか」という問題も、「20:80」のルールを適用して云々という問題よりも、「リアル企業のコスト構造だと、追求・対応しようとすればするほど損が出るばかりになることが明らかなので放置される対象(顧客・商品・・・)からどれだけ売上が上がるものなのか」とか、「リアル店舗では経済的制約から扱えないアイテムからどれだけ売上が上がるものなのか」というところにこそロングテールの本質があると思う。だから前エントリーで、
それは「AmazonとGoogleの違い」と言うこともできるが、ロングテールが「厖大な数だが有限」(Amazon)なのか「無限大」(Google)なのか、という問題である。
と書いたわけだが、これは「リアル世界でこれまでは無視してきた対象」がどれだけの広がりを持ちそうなのかというスケールにおいて、この二つには明らかに違いがあると考えるからだ。たとえば、GoogleのAdSense売上が、大方の予想を大きく上回って伸びているのは、Googleが追求する「広告のおけるロングテール」(リアルの広告代理店ではコスト構造があわないから放置された対象)の市場規模が、想像以上に大きそうだということを示している。
改めて言うが、「ロングテール」論は理論でも学説でもない。米「Wired」誌編集長が「こんなのどうでしょう」と提示したネタみたいなものだ。むろんここからさらにさまざまな議論が発展して、「ロングテール」論が「ネット事業」と無関係に意味を持つ立派な論に成長することもあるのかもしれないが、今のところは「ネット事業」との関係に限定して考えていくのが自然なのではないかと思う。