ぐずぐずして何もしないでいられる時間

ここ数日かけて堀江敏幸の「河岸忘日抄」

河岸忘日抄

河岸忘日抄

を読んでいたから、そんなことをふと思ったのかもしれない。

ためらいつづけることの、なんという贅沢---。
異郷の河に浮かぶ船を住処とする「彼」。淡々とめぐる季節。
停滞と逡巡のゆたかさを伝える奥深い長篇。

セーヌと思しき河に浮かぶ船を仮寓とする「彼」。陽あたりのいいリビング。本とレコードが几帳面に並ぶ樫の木の棚。訪ねる者はといえば、郵便を届けにきて珈琲をのんでいく配達夫くらいだ。謎めいた大家を時に見舞いながら、ブッツァーティチェーホフツェランなどを再読し、ショスタコーヴィチほか古いLPに耳を澄ます毎日。ためらいつづけることの意味をさぐる最新長篇。

と帯に書かれているこの小説は、300ページを超える長さにもかかわらず、主人公である「彼」の日常は淡々と過ぎていくだけである。この小説の長さによって、「彼」に流れている芳醇な時間が、実にうまく表現されていると思った。読んでいる小説の中に、ただただ無為に過ごしそれを倦まない人物が出てくると、僕はいつも深く共感して感情移入してしまう。