和田宏「司馬遼太郎という人」

司馬遼太郎という人 (文春新書)

アメリカ素描」よりずっといいものでした。綿密で、情念がすきまなく入っていて。(自分でいうんです!)。その理由は自分でもわかっています。小生は半世紀を十年も(もう二年プラス)越したとしになって、そろそろこの世に失敬しなければならないとしになっています。いままで考えつづけてきたことで、自分以外の人が考えていないか、言っていないか、していることを、私蔵せずに言っておく義務がある、ということです。この世への義務感に押され押され書いたのです。(p164-165)

司馬遼太郎から著者に充てた書簡の一部。「ロシアについて」を書き終えたあとという文脈で書かれた文章である。
また新聞小説を本にする場合のスタイルについて、著者によるこんな記述がある。

ちなみに司馬さんは新聞連載をまとめて本にするとき、一回分の間にかならず一行あきを挟む。なんと最初の新聞小説である「梟の城」のときからすでにそうである。一回一回が独立しているという気分を残したいと思っているのだ。連載一回分が一つの細胞で、それが寄り集まって、長篇小説という巨大な生物を形作っているという見方ができる。(p135-136)

そして以下、同書より司馬遼太郎の言葉。

数学は苦手やけれども、相対性理論を一般向けに解説しろといわれればできないことはない。(p19)
小生はむかしから、たれでもわかる(むろん自分がわかる)小説を書いてきて、そのくせ、"たれも自分の小説がわからない。日本中で三人くらいだろうか"と私(ひそ)かに思い続けてきました。(p58-59)
影響を受けた作家はいないけど、ツヴァイクが好きだった。(p93)
職能集団が住む近代の都市という場所に、手になんの職も持たずに住むとどうなるかという実験をしたのが、私小説作家ではないだろうか。(p97)